悟り

ありのままに感じるために

全自動

全てが全自動である、、これもありのままに感じるツールです、、全てが全自動であることを理解することで、、ありのままに見やすくなります、、思考が湧いてこなくなります、、感情が湧いてこなくなります、、幼稚園児はこれが分かっています、、、全てが全自動であることを、、、思考、感情、行動をコントロールしているなど考えていません、、、、だから今を感じています、、だから今を感じまくっているのです。。。。

試しに

スポーツすると食事が美味しくなります、、マッサージをしてもらうと、、ただそれだけで幸せになります、、、ヨガをすると、、その後のお酒が美味しくなります、、、感覚は体の影響をダイレクトに受けるのですから、、、これを突き詰めます、、、収縮したエネルギーを全解放していきます、、、感覚がどんどんどんどん鋭敏になっていきます、、、原始感覚が蘇ってきます、、、すると、、、、何もしなくても幸せ、、、という悟りの階段を登り始めるのです。

この世界は幻想だから

幼稚園児は感覚が全開です、、、だからといって彼ら彼女らは、、、何もしないなどあり得ない、、その感覚を使って、、、感じまくっています、、、ボールで遊び、おもちゃで遊び、、毎日感じまくっています、、、毎日が変化、変化、変化、、、これです。。。この世界が幻想で、、、この幻想は幻想故に退屈なのではなく、、、この幻想は感じまくれる人にとっては天国です、、、感じれない人には地獄、、、感じるとは全緊張を解放し、、感覚を鋭敏の局地にすることです。

幻想は、、体験の場所、、

この幻想は幻想ゆえに、、体験しなければ、、地獄の場所になります、、、ですが一方で我々は毎日体験しかしていません、、、部屋に居るのも体験です、、、ということは、、、この体験の濃度が充実度を決めるということです、、、体験の濃度とは、、、感じる力です、、、感じる力が最大限か最小限かによってこの世が天国にも地獄にもなります。

今の幸福度は、、今の五感力

幼稚園児

幼稚園児は、、、箸が倒れただけで笑います、、これは何が起きているのでしょうか????五感力です、、、彼ら彼女らの感じている全てが大人とは全く違うのです、、、視界に起きた、、箸が倒れるという動きが、、、スーパー立体映像で起こり、、それがたた面白いのです、、、全く違う世界を幼稚園児は見ています、、、大人がどんなに解釈を変えて幼児になった気分でそれを見ても、、、同じような感覚で笑うことは不可能です。

五感力の向上

大人になって衰えたこの五感力を高めるにはどうしたらよいのでしょうか????そのためにヨガ、ストレッチ、マッサージがあります、、、あらゆるツールを駆使して体を鋭敏に戻していきます、、東洋医学では、、これを経絡で考え、、、経絡を解放していきます、、、幼稚園児ぐらいの柔軟さに戻った時に、、大人は箸が倒れただけで笑うのです、、、この状態が悟りです。

五感を舐めてはいけない

五感が全てです、、我々は五感を使った体験しかできません、、、この五感での体験が退屈になった時に、、人は六感である思考を使って思考で遊びます、、、ですが思考が作り出したお遊びは、、、お遊びに過ぎず、、そこには真実に直接触れるという醍醐味がないのです、、、六感に逃げずに、、、五感を充実させるのです、、五感の充実が、、、、虚しさを消滅し、、虚しさの究極の対局である、、悟りが待っています。悟りとは大満足のことであり、、、大満足とは、、今この場所に居るだけで、、、起こるということです。今この場所が大満足でない時、、五感を磨くのが全てです。

子供の感覚に戻す

この体の緊張を子供時代に戻す

借金1億円の請求書が突然届いたとしましょう、、この請求書を読みながら、、、カレーを美味しく食べれる人は皆無です、、、、なぜか緊張で味覚を感じれないからです。。。子供はナチュラルに体が緩んでいますから、、感覚が敏感です、、、、大人はナチュラルに体が硬いので、、、、感覚が鈍っています、、、大人になるとは体を緊張させて感度を落とし、、それで生きています、、緊張で感度を落とすことで、、、幸福感を減らす代わりに、、、、生き抜くという作戦をとっています。

悟りとは絶対幸福

悟りとは絶対幸福ですから、、、全ての現象をありのままに感じるということです、、、感覚を最大限開ききることです、、、風も太陽の光も、気温も、、全部が全部感じ切った時に、、、絶対幸福が訪れます、、、光の中に光を感じ、、音の中に静寂を感じ、、会話の中に愛おしさを感じ、、と全感覚に生命を感じるようになるのです、、、、ですから体を緩み切るように促します、、、便宜上硬くして大人活動をしていた体に、柔軟性を与え、、そこからくる力強さでいきるのです。硬直ではなく弛緩からくる強度を作るのです。

子供の柔軟性で、、強く生きる

悟りとは子供のような柔軟性で、、強く生きることです、、、、子供のような感受性のまま強く生きます、、自我という硬直したエネルギーではなく、、、、柔軟なエネルギーで強く生きるのです、、、、幸福を生きるために犠牲にするという方法ではなく、、、徹底的に幸福になって強く生きるのです。筋肉を子供のように柔らかくすることで、、、、柔らかさからくる強さを手に入れた時、、、悟りの体になります。

体で覚醒する

体だけが真実を知っている

この幻想の世界の中で唯一真実に触れることができるのが、、からだです、、、体だけがこの真実を掴むことができます、、この世界は幻想の世界ですから、、、そこで起こる現象には実は意味がありません。。。無限の現象が起きるだけです、、、意味はないのですが、、、この無限の現象をただ感じているだけで本当は我々は至福に居るはずなのです、、、目の前に至福(現象)が揺れ動いているのですから、、、ですがなぜかこれが退屈に感じる、、、なぜ????五感が鈍っているのです。

五感が鈍ると、、、

五感が鈍ると、、、真実に触れているようで触れていない状態になります、、、借金1億円をしてしまった、、、その時にコーヒーを美味しいと思えるか????恐らく頭は思考でグルグルになり、、全く味を感じれないはずです、、、これが人生においてなっているのです。。。思考に乗っ取られ、、五感が全く働かない状態に陥っているのです。

五感を覚醒させる

五感を覚醒させていきますと、、、ただそこに居るだけで気持ちが良い、、、が起きます、、、なぜならば感じているからです、、真実を、、、そこを追求します、、、、思考という刺激物に頼らなくなります、、、思考よりも、、より体を覚醒しようという動きが起きます、、、ヨガ、ストレッチ、水泳、、、なんでもいいのですが五感を開いていきます、、、そして本当に開ききったと時に、、、思考という罠、マジック、妄想が邪魔になってきます、、その先の真実に触れたくなります、、、これが悟りへの誘いです。

悟りに興味がでる

悟りに興味が出るのは、、、、感じているからです、、真実を、、、真実を感じているから、、、もっと真実を知りたいが起きるのです、、、この衝動は、、、真実に触れていないと起きません、、、真実が誘ってくるのです、、、ここに真実があると、、、ここで思考を使ってもダメです、、、思考とは真実を隠すものだからです、、、思考に入らずに、、、体をより覚醒させていくのです、、、感じる力をマックスにしていきます。

体から入る

五感力

五感力とは何か???五感の感度です、、、この感度が落ちますと、、、、この幻想の世界での体験が薄まります、、、この幻想の世界では、、、体験しか、、真実に触れる方法はありません、、、ですから、、、この五感の鈍りとは、、、真実の軽薄、、、真実の虚脱のことなのです、、、真実が虚してしまった世界、、、それがこの世界を苦しみの世界に閉じ込めます。

歳を取ると

歳を重ねますと、、五感が鈍ってきます、、つまりこれはこの世界から真実が消え去ることと同じです、、、真実との接点が減るのです、、、真実はいつでも今目の前にあります、、、ですがこの真実に触れることができなくなります。真実はここにあるのです、、ここに触れるには五感を開く以外にありません。六感である脳は、、思考を作り出します、、、我々は思考を生み出し、、、思考の中で体感するという能力を生み出しました、、ですがこの中の体験は五感が働かず、、満足になりません。

昨日一日中思考して大満足だった、、、

こんな話を聞いたことがありません、、、思考だけして大満足にはならないのです、、、思考はあくまで刺激、妄想のみ、、、これは満足とはほど遠いのです、、、満足は真実に触れた時のみに起こるのです、、悟りとは大満足の世界、、それは真実そのものと常に触れるからです、、思考という刺激物に頼らない生き方ということになります、、思考はいつでも誘います、、思考の世界に、、、そこに乗らない、、、インスタントな快楽に乗らない、、、これが重要です。

五感という充実

充実=五感

漢字とは非常に面白い、、、充実という言葉は、、、、、実が充ちた状態と書きます、、、なんという気づき、なんという答え、、、、、実とは何か???????実とは、、、真実、、、です、、、、虚の反対語、、、、、では虚とは何か?????虚とは、、、、、、真実ではないこと、、、真実ではないこと、、、この世界で真実とはたった一つしかありません、、、それは、、、、体の感覚だけです、、、もっといえば感覚だけです、、、これだけが真実です、、、残りは全て、、、虚です、、、、、、感覚=実、、、、五感=五実、、、となります、、、充実とは、、、、実が充ちることですから、、、、五感が充ちることです、、、、五感を使った経験を増やすと、、、充実します、、、、これが減ると、、、、虚しくなります、、、

なぜこんなことを言われたのか?????

なぜこんなことを言われてしまったのか????考えるのは時間の無駄です、、、虚の世界に入り込みます、、、擬似体験の世界です、、、五感で感じれない世界です、、、、時間の無駄、、、虚しくなります、、、あなたが言われた言葉は、、、その人から勝手にでてきた言葉です、、、それについておれこれ考えるのは時間お無駄、、虚に入ります、、、、ですがもっと俯瞰すれば、、、虚に入ること擬似体験をして楽しんでうるのですからそれも悪いことではない、、、、ですが本当は、、、より五感の世界に入った方が良い、、、体を健康にすると、、、五感を使った活動をし始めます、、、体は全部知っていますから。

健康になるだけで、、、

体が健康になりますと、、、五感を使った活動を勝手に体が起こします、、、五感を使った方が充実することは体は完璧に分かっています、、、ですから、、、ただ体を健康にするように導けばいいのです、、、悟りとは五感です、、究極の体感です、、、、ですから、、、、体を健康にして五感を完璧にし、、、、真実に多く触れ続け、、、本当の真実をありのままに感じることができた時に、、、目覚めます、、、、ありのままの真実を五感が感じることが悟りです。

真実を最初に知ってしまう

悟り本のメリットは真実を最初に言葉で知ってしまうということです、、、、真実はこうなっている、、、、それが分かれば、、、、あとはひたすらにこの現実でそれを発見していきます、、確認していきます、、、すると、、、思考、感情、行動に振り回されないことに気づきます、、、、健康になります、、悩めなくなります、、、五感を使った活動時間が増えていきます、、、この延長線上に本当の悟りがあります、、、真実を五感で感じるが起きるのです。

体は全部知っている

もしも体が全部知っているならば

「体は全部分かっているんです」そんなメッセージはスピ、ノンデュアリティ業界では多く聞かれる話です、、だとしたらなぜ今充実感が薄いのか???なぜ毎日が退屈なのか?????簡単です、、今の体、今の体のコンディション、、、、にとってベストな行動が取れているだけです、、、、?????え???今退屈だとしても完璧な体の行動が起こっているんですか?????その通りです、、、、今の体に寸分違わず完全な思考、行動が起きているのです。

行動を変えたければ体を変えればいい

簡単な話我々は完全に体に支配されているのですから、、、体が変われば全行動、全行動が変わるという当たり前の事実を受け入れればいいのです、、、、そしてこの体は完全に悟りの現れなのです、、悟りの現れの、、、行動、思考、、、ですから、、、体は全部分かっています、、、、この体の状態を物理的に改善していく、、体をリラックスさせていく、、、体を浄化させていく、、、、するとその体に見合った行動思考が湧いてくるわけです。

思うように行動できない、、、

今の体のレベルにおいて完璧な行動が起きています、、、恐怖のエネルギーが溜まっていれば、、、恐怖を感じないように小説や、映画、などのエンタメを楽しむようになっている。体が浄化されていれば、、、五感を使った現実内での楽しみを選ぶ、、、と、、、、全部が全部体のベスト行動が起きるのです、、、そして今その行動に満足を感じていないのならば、、、、体を浄化すればいい、、、それだけです、、、、

体が健康ならば、、、

体が健康ならば、、、体はTVゲームを選ばず、、、、体はこの現実世界で遊びを探します、、、、体は全部知っていますから、、、その体のレベルに見合った行動を選ぶのです、、、、行動を変えようとしても全くの無駄、、、体を変えてしまうのです、、、次の行動に見合った体を最初に手に入れてしまいます、、、、勿論その行動が起きるか起きないかは、、「自分」は関与できません。

虚しいを追求する

虚しいって何???

虚しいとは、、、実がない状態です、、、実がない状態が虚しい、、、じゃあ、、実って何か????真実に触れることです、、、、この世界で真実に触れると、、、、実が生まれます、、、、、「この世界に真実じゃないもの」なんてあるんですか?????全部真実じゃないですか?????それが違うんです、、、それが真実じゃないんです、、、、我々は言葉を覚えてしまったので、、、、言葉で作り出したイメージの世界に知らないうちに住んでしまったのです。

私が幻想

最初に答えを言ってしまえば、、「わ・た・し」も言葉ですから私も虚構です、、、つまり私を生きるとは虚を生きることになります、、、私とは虚、、、つまり虚しいのです、、、、だから先ず「私」は言葉で作ったマジックであるということを覚えるのです、、、すると私を生きるという、、、虚構が外れます、、、、五感は真実ですが、、、「わ・た・し」は虚です、、、、私はラーメンを食べたと思考すれば、、、虚しい、、、が湧くのです、、、、「私はラーメンを食べた」は虚構です、、、事実は味、香り、感触、満腹感、、、、、だけです、、、

じゃあ、、、どうすりゃいいんだ????

分かった、、、私が、、、、は虚構だから虚しい、、、、でも、、、、もう言葉を覚えちゃった以上、、、どうすりゃいいのか????????違うんです、、、今まだ虚しいのならば、、、言葉が作り出した世界は全部嘘だということが腹落ちしていないんです、、、、、腹落ちとは、、、悟りですから、、、虚しさはないんです、、、真実は何が起きているのか????を学ぶしかありません、、、、勘違いが全部削ぎ落とされた時に、、、真実しか残りません、、充実しか残りません。。。それだけ。

虚の世界で虚を描く

思考とは虚への逃避

この世界は虚構です、幻想です、、、これはハッキリしています、、、完全なる虚です、、、虚と書いて虚しいと呼びます、、、虚しい世界です、、、、虚しい、、、、でも小さな子供たちは虚しそうにしていませんよね、、、満足して遊んでいますよね、、、サッカーボールを蹴っているだけで、、、楽しそうにしてる、大満足している、、、、なぜ??????五感を使って遊んでいるからです、、五感です、、、五感を使って遊ぶと楽しいのです、、、、

五感だけは実

この虚の世界で唯一の実とは何か????五感です、、、五感のみです、、、五感だけが真実です、、、この五感を使って使いまくると、、、実が重なっていき、、、実が重なっていき、、、充実が生まれます、、、、、虚しさが消えていきます、、、虚しいという感覚が薄れていきます、、、、小説が楽しい、映画が楽しい、、これは、、、虚構の世界で五感を使わずにする遊びです、、、、だから、、、、虚しいのです、、、擬似体験です、、、擬似体験は、、、自らの体験のアイデアぐらいでいい、、、、擬似体験が面白いから、、、擬似体験を重ねていても、、、、虚しいが続く、、、

五感の究極

悟りとは究極の五感体験です、、、、我々は勘違いした、、、、思考が作った概念の中で活動をしています、、、「私」も居ませんし、、、相手もいません、、、これは思考が作り出した幻想です、、、幻想は言葉で生まれていますから、、、、擬似体験中なのです、、、今擬似体験中なのです、、、、だから虚しいのです、、、、私が、、何かを体験する、、、という擬似体験の中に住むと、、、それは幻想ですから虚しいのです、、、、真実に中で生きますと、、、見える世界は幻想ですが、、、体験は真実になります、、、五感が作り出した真実の世界です、、、そして最後に五感すらもなかったという気づきが起きます、、、真実はあるがままで「五感」という言葉にもならない経験がそこで起こっていることに気づきます。

愚行はあっても愚行者はいない

なんでも受け入れるわけではない

多くの方が勘違いします、、全部が全部自動反応、オートマチックならば、、、他人の全行動を受入なければいけないんですよね?????違います、、、全自動反応であることを理解して嫌な行為は堂々と跳ねのければいいのです。全行動が自動反応ですから、、それをコントロールできる個人が存在しないだけです、、、行為を憎んで人を憎まずです。

行為すらも憎めなくなる

行為すらも憎めなくなる、、、これが真実です、、、、幼児の悪行にムキになって怒ることができる人はいないでしょう。。。。行為者が不在にも関わらず本気で人を怒れるでしょうか????恐らく不可能、、、、悟りとは怒れる人が居なくなることです、、、これを寂しいと捉えるか、、、ハッピーととるかです、、、ですが全く大丈夫、、、そもそも人は誰も居なく、、、それでも何も問題なくことを進んでいきます、、、、鳥が生きる世界には人間という動物は存在しますが、、、そこに自我があるとは思っていません、、つまり鳥の世界には個別の何かしらは存在しないのです。にも関わらず、、鳥は寂しいいという感情を所有していません。