真実

なるようになる

これは堕落ではない

なるようになるさ、、、こんな言葉が出てきます、、絶体絶命の状態で、、、なるようになるしかない、、思考が諦めた時にこの言葉が出てきます、、、ですがこれが真実です、、いつでもなるようになっているのです、、生まれてきてこれまでが全部「なるようになっている」のです。だから絶体絶命、思考が抜けた時にこの感覚を思い出します、、

これからも「なるようになる」

今までが「なるようになってきた」のですからこれからも「なるようになり」ます。いやそんなことはない病気になってしまう人もいるではないか???そうです、それがなるようになったのです、、?????世の中で起きることの全てがなるようになっているので、病気も大成功も、大努力も、大失敗もなるようになった結果なのです。。あなたの大努力は、、そうなるようになっていたのです。

大努力も大怠惰もなるようになっていた、、

大努力は本人の絶対的意志の力、、大堕落も本人の怠慢でしかない、、、違います、、全部そうなるようになっていたということです、、、、血が滲むような努力すらも、、、そうなるようになっていたのです、、それを遂行する意志の力が起きたのです、、たまたま、、、ですがこれらの事実が腹落ちしますと、、、思考が湧かなくなり、感情も湧かなくなり、、、明晰さ、賢さが現れ、、結果達人的な動きが起きます。

森羅万象

動きのみ

我々が生きているこの世界はただ動く世界です、、動きのないものは一切存在しない、、微妙にもしくは大胆に常に動き続ける世界に居ます、、万物は全て動いていますから固定した存在はありません、、例えばリンゴという固定した物体は存在せず、、一時的な状態を説明したものです。。リンゴというイメージに沿った状態にある万物の動きを説明したものです。

動きのみの中で

万物は常に動き続けます、この体も例外ではなく、、日々動き続けます、、、、思考も欲望も、衝動も、感情も常に動き続けています、、、その中でこの体の中に自分が居るという発想が起きました、、これが自我です、、これも万物の動きの一つです、、、そしてその自我が活動した記憶が起こり、、自我物語が誕生したのです。動きのある万物が分離しているように見える世界が誕生したのです。

再びしっかりと観察する

今目を閉じて現象、万物の動きを観察してみてください、、一時となく何かが起きるはずです、、冷蔵庫の音、鳥の声、目を閉じても差し込む光、、、隣の家の豚汁の香り、、何かが起きます、、、そうです、、我々は一時と静止しないこの万物の中に居るのです、、、思考も起こり、感情も起こり、、この体も動く、、、これが真実、事実です。。この森羅万象、諸行無常、、の中で安定、平和、幸福を手に入れようとする試みが不幸を作るのです。何一つ固定されない諸行無常、、、しかない、、この体も心も、視界の全てが移ろうだけ、、、終わり。

苦しみの本当の意味

苦しいとは。。勘違いの証明

生きるって苦しい、、なぜか苦しい、、テレビやお喋り、何かに頼っていないと退屈で死にたくなる、、、、これらの本当の意味は何でしょうか????真実の勘違いです、、、真実を誤解して生きている時に生じる感情、それが苦しみです。ですからこの苦しみこそが悟りへの誘いです、苦しみが悟りへの渇望になります。。何をしても何を得ても癒えないこの苦しみこそが真実に目覚めるきっかけになるのです。

そう思えば、、、

苦しいが悟りへの誘いになります、、そう考えると、、この苦しみは悟りにとって最重要事項、森羅万象の動きは完璧です、、、この苦しみ解消を、、名誉や、お金、異性、やりがいで解消しようとしても全く癒えない、、、この究極のお題解決こそが悟りです。悟りとは究極の現実に目覚めること、究極の真実、リアルに目覚めることです。

何も求めなくていいという解放感

何も求めなくていい、、、そうです、、、究極のメッセージが教えてくれることは革命的です、、川の流れのように我々がこの先に取る行動は全部決まっていない、、全て森羅万象の動き、、運任せ風任せ、、森羅万象任せ、、この状態で何を期待し何を失望するのか?という話です。この事実に向き合った時に根本的な脱力に襲われます、、人生に責任を取るという大きなプレッシャーから解放されます。

他人の自我の活動が気になる

今にあること

他人の自我の活動が気になる、、どう思われるか、、嫌われるのではないか、、こんなことして目立ってしまったら、、、自分の自我が過剰に他人の自我の動きを気にします、、、この状態こそが、、思考に飲み込まれている状態、自我に意識が同一化している状態です、、、他人の自我の動きが気になる時は、、そこに気づきます、、意識を観察する存在に切り替えます、、、思考に巻き込まれない存在に切り替えます。

他人の自我が右往左往しても、、

他人の自我が右往左往することに全く意味がないのは、、、そのことと、、真実の静寂とは何も関係がないからです、、本当の静寂を知ってしまうと、、、その場所が他人から犯されないことを知ります、誰にも邪魔されない場所、、、それが真実の静寂の場所です、、、ここに長く居れるにも関わらずなぜ他人の右往左往に反応するのか?という話です。

他人を羨ましいという感情が湧かなくなる

他人に対し羨ましいと感じるのは、、、本当の静寂を知らないからです、、、本当の静寂と、、他人の功績は全く関係がありません、、むしろ他人が功績を得る場合、、その他人が静寂に入れているからかもしれません、、そこは学びになります、、、本当の静寂に触れることは人間関係を大転換する力を持つのです、、、

人の成功に落ち込む自我

自我は本当の静寂を知らないから

自我は本当の静寂、歓喜、安堵を知りません、そのため他人の成功に過剰に反応します、、、他人が何かを獲得すると、、、私もそれを獲得したいという衝動が起きます、、、本当の静寂、安堵を知らないからこそ、、、他人が獲得した何かに答えがあるのではないかと、、期待するわけです、、、ですがその他人が獲得した何かを実際に得ても全く意味がない、、それは本当の静寂、平和ではないからです。

他人が上手くいっているに狼狽する

他人の成功、特に近くに居る人間の成功に特に過剰に反応するのはそれを獲得していない自分が焦るからです。ですがそれは本当の静寂、平和、安堵を知らないからに他なりません、、本当の静寂を知ってしまうと、、他人が獲得した何かは全く意味がないことを理解します、、、一瞬羨ましさが湧いてきますが、、、それと真実の静寂とは何も関係がないことを知ります。

自身が本当の静寂を知ると、、

自身が本当の静寂に気づくと、、、これを共有することしか興味がなくなります、、、本当の静寂は独り占めするものではなく、、誰でもどこでも獲得できる絶対的なものであることを知るからです。他人にそれを自慢したくなることもない、なぜならば全員が今そこに触れているからです。もしも悟りを遠ざける何かがあるとすればそれは依存心でしょう、、今感じている絶対的感覚、「IAM」ここに戻るのに他人の力は必要ありません、これを他人の力が必要であるという思い込みがあるとこれが邪魔します。

悟りが日常会話に登場しない理由

悟りとは自我の完全敗北

悟りという言葉を真剣に議論するなどまず一般社会では起きません、、どこかファンタジー、インドの山奥の話、、みたいな扱いを受け続けてきました、、、悟りについて熱く語り合うなど、、、現実離れの戯言、、、といったノリでしょう。。。。ところが事実は全くの逆、、、悟りとは事実、真実、スーパー現実の話なのです、、、思考との一体化、感情との一体化に成功した自我は、、、悟りを最も遠い場所に置き、、、自我繁栄の邪魔をさせません。

10分間何も考えないでいてください、、、

待合室で看護師さんから、、、10分間何も考えないでその場に居てください、、、、そうお願いされてそれができる人がどれほど居るでしょうか????10分間点滴を打っていてください、、これはできます、、、10分間口を閉じていてください、、これもできます、、、ですが10分間何も考えないでください、、、、これができない、、、、、ここです!!ここがポイント、、、、自我は思考と完全一致し、、思考を止めるなどやったことがないのです。

それだけはできない、、、

思考を止める???そんなこと出来るわけないじゃないですか、、、、思考なんて勝手に湧いてくるわけで、、、どうやったら止まるんですか????そうです、、、止まらないんですよ、、、簡単には、、、どうするか????思考を観察する存在になるのです、、、思考が湧いてきたら、、、湧いてきたことに気づく存在になるのです、、、これを新しい習慣にするのです、、、これを続けます。。。実は簡単なのです、、思考の存在にしっかりと意識的になるのです、、ただこれだけです、、、すると思考と同一化した自我の存在が薄まっていき、、思考が出しゃばらないという状態が出現します。

進化向上

進化向上は森羅万象の動き

個人とは森羅万象のアイデアです、この個人には実態はありませんから、、この個人は森羅万象の動きそのもの、、森羅万象は変化し続けますからこの個人というアイデアも変わり続ける運命にあります、、これが進化向上です。個人とはいずれ解体され森羅万象のそのものになるわけですがそれが起きるまで進化向上が続くのです。

進化向上とは俯瞰のこと

小さな子供は砂遊びを毎日続けるうちに、、徐々に上手くなっていき、、大人でもできないような作品を作り上げ、やがて飽きて次の遊びにシフトします、、、これが進化向上です、、、、向上し飽きて次に向かう、、ただこれだけです、、、、アルバイトに慣れたら正社員になり、、正社員に慣れたら、、自営業者になり、、自営業者になれたら、、社長になり、、、社長に慣れたら会長になり、、、会長に慣れたら、、地域の自治会長になり、、地域に自治会長に慣れたら市長になり、、市長に慣れたら県知事になり、、県知事に慣れたら国会議員になり、、、

進化向上に抵抗する

進化向上が義務であり、、これが自然な流れです、、、ですがこの自然な流れの中で、、思考は食べれているならばそこに居座りたいが発生します、、、この進化向上VS現状維持の戦いが苦しみになります。進化向上が正しくて、現状維持が悪いのではありません。進化向上というベクトルと現状維持のベクトルの戦いが苦しみを生み出しているという真実があるのです。

思考との同一化は現状維持を強化する

多くの方は実は一日中思考していることに気付いていません、、思考していることに気付いていないということは、、思考と完全同一化しているということです、、独り言をずっと喋ってい老人は喋っていることに気付いていません、、、この状態です。。。思考は現状維持をしようとする機能ですからこの状態では進化向上の動きは完全にシャットアウトされ、、現状維持が続きます、、苦しいが湧き上がります。

思考が起きていることに気づくだけでいい

思考が起きていることに気づくだけで、、、思考への同一化は終わります、、、思考が気づかれずに同一化が強化されいつの間にか現状維持の強力なシステムに飲み込まれます、、進化向上が止まります。思考が実は一日中沸き続けている、、この事実に気づくのです、、、すると思考することに対して冷静な自分の存在が浮かび上がります、、、これが気づきの意識、進化向上の大元です。進化向上に対して思考の無意識の抵抗が終わります。

否定できる現実が無い

全ての現象は森羅万象

我々が現実と呼んでいるこの現象は全部が全部森羅万象の現れです、、、森羅万象の現れでないものは一切ない、、、この森羅万象の現れを、、、我々の観念が物質化したのが現実と呼ばれている世界です。。完全なるユニティ、たった一つの世界を森羅万象、、、動きのある世界として経験しているのが我々の現実世界です。すると、、この森羅万象の動きにおいて否定すべき現象は一切ないことが理解できます、、、否定すべき現象と肯定すべき現象があるならば、、、森羅万象の一部を否定することになる、、、なぜ???森羅万象の動きにおいて否定すべき動きがあるならば、森羅万象は不完全であるということになるのです。

辛い、悲しい、しんどいも森羅万象の動き

辛い、悲しい、しんどいも、、、エネルギーです、エネルギーに言語を当てはめると、、悲しい、辛い、しんどいに変換されます、、、このエネルギーは完璧に森羅万象の現れです。。。この感情は否定すべきものでは絶対にないのです、、、では我々は悲しい、辛いをどう処理したらいいのか???完全なる無抵抗しかないのか???その通りです、、、、この悲しいが森羅万象の動きであることを悟るために悲しいというエネルギーが湧いているのです、、、無視するのではなく、、、そこを直視し、、森羅万象の現れが起きているという事実に向き合うのです。

現象を個人的に捉えると辛いが湧いてくる

老後のために二千万円貯めないと大変なことになりますよ、、、こんなニュースを観れば誰でも、、、しんどい、、が湧いてきますね、、、、実際には何が起きたのか??老後のために二千万円貯めないと大変なことになるというニュースが森羅万象の動きとして現れたのです、、あらゆる因果関係、縁起によって、化学反応によって、、このニュースが現象化したのです、、ただそれだけ、、、、では本当に老後二千万円貯めておかないと大変になるのか???全く分かりません、、、なぜならばそのニュースはただの現象だからです。

そこに向けて準備ができない自分はダメ

社会人として、分別ある大人として、、、老後のために準備ができない自分はダメ人間である、、、しっかりしなきゃ、、、これが間違った認識です。。。。我々の全動きは森羅万象の動きです、、、、老後のためにどういう動きをするかは森羅万象の動き次第なのです、、、今もその森羅万象の動きの中に居ます、つまり完璧なのです。。。一円たりとも老後のために貯めないが起きたら、、、それが森羅万象の動きなのです、、完璧です、、、1億老後のために貯めるが起きるかもしれません、、それも完璧です、、、一億円貯め込んで、、一円を使わずに脳出血で死んでも完璧です。

否定できる行動がない

森羅万象の動きを否定できる人間が居ても、、、その動きも森羅万象の動きです、、完璧です。。。ですが森羅万象の動きを否定している期間は少なくともこの真実を理解していない証拠です、、、イエスキリトとは処刑されましたが、、これも森羅万象の動きです、、、、ヒトラーが大量殺戮したのも森羅万象の動きです、、、マザーテレサの救援活動も森羅万象の動きです、、、

何でもできるようになる???

真逆

悟れば何でもできるようになる???真逆です、、、、機能としての自分しかそこに居ないという気づきです。。体が強い自分は、、この体を機能としとしてより役に立たせる方向に行くかもしれません、、、言語が得意な自分は、、言語を生かした機能といて役に立っていくかもしれません、、、自分とは機能に過ぎないという徹底的にドライな捉え方です。

機能になるのが気持ちが良い

歯車の一部、、、社会の歯車の一部になるのが面白くない、、、エゴはそう考えるでしょう、、、全く満足できないからです。。この自分を機能ではなく、、アイデンティティーとして捉えれば、、もっともっと自分を大きくしたくなるわけです、、、ですが機能に過ぎないのです。。この体は、、、、ですが今まで思っていたエゴとしての自分はこんな小さなものではなく全体、森羅万象全部、気づきの意識そのものなのです、、、体は機能に過ぎません、、ですから歯車の一部でしかありません。

意識と体の徹底分離

意識は壮大で全部、ですがこの体は社会の機能の一部でしかない、、これが事実、真実です。、、、ここを徹底的に分離させます、、、ここを分離できない場合、、、この体を大きく大きく見せようとする動きが始まりますがこれが苦しみのもとです。意識はこの宇宙、見える世界を今作り出している張本人です、、ですがこの体はその中の現象の一部でしかない、、どこまでいっても機能でしかありません。

今幸せなのになぜ他に何かを求めるのか?

今この場で幸せになる

今この場で幸せになるのが難しくても、、今この場で不幸を終えることはできます。人の不幸は過去を後悔し将来を憂うのがほとんどです。これをこの瞬間に終わらせることができます、、、それが自由意志がないという真実です。。。自由意志がないのです、、、となれば刑務所に行こうと、一億円を儲けようと、、、全部この自分の責任、功績ではないということです。これで少なくとも過去を悔やむこと、将来を憂うということが出来なくなります。

人生から心配が消えてなくなる

自分の自由意志があり、、、これをフル発揮して少しでも良い人生を、、、こう多くの人は考えていますが、、、その自由意志が本当はないのです、、すると、、、人から見て良い人生になるかならないかは神任せ、風任せ、川任せになります、、、、どうやって期待をすることができるでしょうか???期待するだけ損です。将来を気に掛ける時間が損なのです。。。多くの方が億万長者に憧れるのは、、、将来の心配をしなくていいからですよね、、、、今それが出来るのです、、、最高ですよね。

心配と後悔が吹っ飛ぶと、自然とあるがままになる

あるがままに生きましょう、、、こんなスローガンを聞いても全く意味がないのは、、、将来不安、過去の後悔、、これが消えないからです、、、ですから先ずはこれを辞めちゃう、、辞めちゃうというよりも、、これが出来ないことを知る、、、すると全くやることがない、、、ということで、、、なすがまま、あるがままがスタートします、本当のあるがままの人生です。。何かを求める人生から、、ただ機能としての自分を楽しむあるがままの人生がスタートします。