真我探究という奇跡

それ自体

真我探究、悟り、、それを求めている時点であなたは奇跡です。自我は基本この心が生み出す世界の中で幸福になろうとします。どこに私の幸福、安泰、快楽があるかを探し求め歩くのです。この心的傾向を「ヴァーサナ」と呼びます。真我に関心が向かない動きです。苦しみ続ける動きとも言えます。散々散々、、ヴァーサナの動きをやり尽くし、、燃やし尽くしたことで、、、ようやく、、外には幸福がないことを悟り、、真我探究に向かいます。ですがこれは前世、過去世、、、と準備が終わっている段階にある人にしか起こりはしないでしょう。

自分だけ、、、

世界は混乱に満ち、、経済も全く安定しない、、、、せめて自分だけは何とかして助かりたい、、、これがヴァーサナーの動きです。外に救済を求めるわけです。この動きの中に真我探究が入り込む隙間はありません。ですがこの動きの中に、、救いはないのです。なぜならば心が生み出したこの世界の中でやはり心が生み出した自分という存在が助かろうとしています。全部自分の心が生み出す自作自演です。世界も自分も全部ファンタジー、心の創造物に過ぎないのです。誰がここで救われるのですか???体を「自分」と同一視する動きが心によって生み出され、、自分を守らなくてはならない映画がファンタジーとして生まれているに過ぎません。

非実在

この世界は心が生み出した創造物ならば実際には創造はないことが分かりますか???創造という実在が存在しないことは分かりますか???心が生み出す世界という創造物は、、、まさかの寝た瞬間消えます、、これが実在とは呼べず、、非実在であることに気づけますか???そして世界は一瞬で消え失せるにも関わらず目覚めた瞬間またこの世界が立ち現れている不思議に気づけますか???

つまり

真我から立ち現れた自我は、、、それ存在自体が勘違いにも関わらず、、その勘違いに気づかない限り何度でも現れ、、心が世界を生み出すのです。自我ありきの世界をここに一瞬で作り上げます。そして幸福はどこだ幸福はどこだ、、、と探し彷徨うのです。断言しますが幸福とは自分(真我)のことです。この真我が心が生み出した体と同一視された時、、、苦しみが起こっているに過ぎないのです。真我探求とは既に真我(至福)でしかない自分を探す旅です。自分(至福)という存在の中で、、、自分を探す旅が始まることを真我探究と呼びます。