思考なくして
コップが落ちれば割れる、、、これは因果ですよね?????因果でないとは絶対に言わせませんよ!!!!残念、、、それはあなたの「記憶」が生み出す因果です。記憶喪失になった瞬間「コップが落ちれば割れる」という因果も消えます。すなわち因果とは「記憶」に依存した思考です。記憶が消えたら因果も消えるならば、、、因果とは「思考」ということです。すなわちそのような絶対的事実は断じて存在しないのです。
カラスがフンをして頭に落ちた
これが事実でないならばこの頭のフンは何なんですか?????思考の中では「カラスがフンをして頭に落ちた」は事実です。思考的事実です。ですが記憶喪失になった瞬間その事実は理解不可能です。どんなに頑張ってもその事実は消滅します。森羅万象の中の動きをくり抜いて、、そういうストーリーを「記憶」が生み出したのです。クリ抜き作業を記憶が行ったのです。カラスを神と呼ぶ国では「神がフンをして私に授けてくれた」というストーリーが生まれます。ですから思考的事実と、、、、、真実は全く異なります。
因果の中では幸せになれない
因果の中で幸福になれない理由は「どこまで行っても」その幸福は「記憶」が支えた妄想だからです。私は幸福に違いない、、、という妄想を「記憶」がでっち上げます。ところが、、、その記憶こそが「苦しみ」の生みの親ですから、、、、、、、、「苦しみ」という大前提の中で生み出された幸福という幻想が起こったに過ぎないのです。そして幻想の宿命、、、それは現れたものは消えるのです。ですからその幸福も必ず消えます。因果の中では幸福にはなれません。因果自体が記憶が生み出した幻想だという気づき、、因果を超えた場所が至福です。