自分という記憶をしっかりと持ちながらこの世のカラクリを解明する

悟とは子供に戻ることではない

悟るとは、ただ子供に戻ることではありません。しっかりとした自分という記憶を所有しながらこの世のカラクリを理解することです。マリオに成り切ってクタクタに疲れたプレイヤーが実は俺はマリオではなくプレイヤーだったと気づくことです。その時にマリオになり切っていた記憶はあります。マリオになり切ってこんなこともあんなこともやったなと。。はっきりと記憶しています。ですがもう自分の存在はマリオではないという気づきが完璧にあります。これが悟りです。

人間も全く同じ、、、自分は人間ではない、、

この身体の中の自分も全くこれと同じです、この身体の中に自分が居るという自分劇場のことははっきりと覚えています。幼少期はこんな子供で、中学時代はあんな苦労を自分はし、大人になってからは七転八倒だった自分、、、ですがそれは神の思い込み、全体の思い込みであるという完全な気づきです。この体が経験することすべてを自分が所有し記憶し、それによってこの体人生が始まります。この体をより逞しく生きながらえるために思考が湧きそれも自分のものにしていきます。寂しい、嬉しい、楽しい、辛い、、あらゆる感情も自動反応で湧いてきますがそれも自分のモノとしていくことでこの体人生、自分劇場は続いていきます。

自分ごと捉えてきた人生から、、自分ごとと捉えさせられてきたという気づき

この世には完全に独立したこの体、自分が存在していてこの体、自分が生き抜いて行く道こそが我が人生。これがこの世に住んでいる人々の共通認識ですが、、、これはマリオをプレイするプレイヤー同様に、人間をプレイする神によって作られた人間物語です。人間物語は確実に経験できますが、、この物語の中に何も知らずに居続けるのは実は大変。どこかでこのカラクリに気づきプレイヤーに戻るのもいいかもしれません。

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