意識が体に収納される
生まれて直ぐに母親から「太郎くん」と呼ばれ続けた意識は「この体の中に私は居るのだ」という勘違いを意識自体が起こします。意識の思考活動がそうさせます。小学校に上がる頃にはすっかりと意識=体になるのです。この意識は体の中に収納されているという勘違いが起こります。本当は見える世界自体が意識に収納されているのです。至福(意識)が体の中に収まってしまった瞬間です。
苦しい
意識が体の中に収まってしまったという勘違いは分離感を生み出します。これが苦しみとなります。この苦しみを解消したいから、、あらゆる人間活動が起こるのです。「意識、意志」が活動を始めます。世界の中で何とか生き抜いていかなければならないという活動です。ですが全てはこの「意識と意志」の中での活動です。
達成感
あの高校にさえ入学できれば、、、必死に必死に勉強します。耐え抜いて耐え抜いて勉強します。そして見事達成、、その瞬間頑張ってきた「自分」が抜け落ちて「意識+意志」だけの状態に。世界=意識+意志の状態に戻った時「至福+愛」を感じます。感じますというよりも至福と愛になるのです。これを思い出すのです。ん?????なんだこれ?????そうかこんな感覚昔もあったような・・・・
至福と愛
間違いない、、昔はいつもこんな感じだった。何かの間違いで今は苦しいけど、、、そうじゃない、、、、これが普通だった頃が確実にあった。。。。そうです。ここで思い出しちゃうんです。この「現実」と呼ばれる世界での細やかな幸福と呼ばれる「フェイク」じゃない至福があったのです。間違いなくそれは元々あってそれを達成という機会で思い出すのです。
意識は体の中に収まっていない
真実をお伝えします。この意識は体の中には収まっていません。体の中に意識が収まっていたら体以外が瞬時に消えてしまいます。体を除いた世界の全てが一瞬で消去されます。そうです。この世界は意識でできています。だから意識がこの体の中に収まるわけがないのです。お酒を飲んだ時人はそれを微かに経験します。世界と私の境界線が崩れます。意識の中に世界が包まれている感覚に戻るのです。
究極
意識が世界を生み出しているならば「意識=創造主」とも言えます。「意識=神」と言っても良いでしょう。その通りです。神は意識として常に常にありありとここに健在していたのです。ではもっと先に進みます。この「意識=神」がなぜ気づかれているのでしょうか???なぜ????なぜ今意識が在ることを断言できるのですか????それは意識が何者かによって気づかれているからです。そうです。それが「真我=気づき」です。これが意識の生みの親、、我々の正体です。親玉です。この親玉の存在に気づいた時、、意識=神の存在もはっきりと思い出され、、、、意識=神が救済されます。マインドの嘘から救済されるのです。