外に向かう意識
自由意志があって思考、行動をコントロールできると思い込まされている期間は、当たり前ですが自身の活動に関心が向かいます。世界と世界と相対する自身の動きに関心が向かいます。世界が変化しそれに自身がどう活動するかに関心が向かいます。意識が外に外に向かうとき、対象は大きくなっていくのです。自分自身は「内面」では???それは内側の話では???違います。この世界の中に存在する全ては外側の世界です。
内側
内側とはどこにあるのでしょうか???それは体を含めた世界という投影を映し出す「窓」意識でありその意識するらも生み出す根源です。根源から意識という窓に光が注ぎ込みそこから意識が生み出す外側の世界が現れます。その外側を生み出す構造が「内側」です。根源、真我とそこから光が意識という窓に注ぎ込む時、窓から世界が立ち現れるのです。
内側に向かった意識
内側に意識が向かっていきますと全く違う感覚が芽生えてきます。外側の世界をコントロールしようという意識が起こりません。外側の世界をなんとかしなくてはという脅迫観念が終わりを迎えます。そして根源と窓である意識にしか関心がいきません。意識がついに根源の存在を捉えるのです。根源という存在を知らなくては意識はそこに向かうことができません。ついに意識が根源を発見したのです。
根源に意識が向かった時
根源に意識が向かったとき根源は再発見されます。そうだこの感覚って小さい頃に感じてた感覚だ、という気づきが生まれます。意識は外の世界ではなくこの体でもなくアイデンティティでもなく真の自分、真我に意識が向くのです。意識がそこに向かわなくてはそれは隠れたままです。意識が根源、真我に向かった時至福が起こります。静寂です。