自分の強制解体作業

運動は思考の発生を抑え自分を緩める

体を激しく使うながら思考を使うことは難しいことです。激しいスポーツをしながら明日の予定について考えることは至難の技です。体を使うと思考が収まり、思考を使うと体が収まります。両方を同時に使うことは難しいものです。結論から言えば自分体験をする全体は常に一つの経験しかできません。お酒を味わいながら食事も味わい、さらに最良の音楽も同時に堪能し、さらに友人との会話に集中することは不可能です。つまり経験は常に一つなのです。これが自分劇場のルールです。ということは自分を緩めるのは簡単、体の感覚に意識を集中してしまえばいいのです。激しい運動をすれば意識が運動に集中し自分を形成する思考は無くなります。

激しい運動をした後なぜか安堵感の残滓がある

激しい運動をしますと強制的に思考の感覚が薄れていきます。本来激しく動くことはストレスフルなことでもありますがなぜか運動後安堵感に襲われます。運動をしている間、自分を作り出す思考が抜け落ちるからです。自分が居ない時に何があるか?全体だけがそこにあります、つまり安堵、歓喜、平和がそこにあるのです。頭脳を酷使する労働者が休日に山に登りたくなりのはこのためです。あえて山という厳しい環境で歩くことで思考が湧くのを落としその瞬間全体に戻っているのです。

全体に戻る方法を積極的に活用する

「この体の中に自分が居る」というのは思考です。この思考が随時湧いてくることで全体から分離した自分を存続し続けるのが自分劇場です。激しい運動をしますとこのシステムを壊すことができ自分が崩壊します、自分が崩壊しますと歓喜、平和、安堵が襲ってきます。なんという皮肉、ブラックジョークです。この事実を理解したならば積極的にこの自分の解体作業を行います、ルーティンで激しい運動を取り入れることで全体に積極的に戻るのです。すると思考を記憶する脳の疲労が取れ思考の活用が上手くなっていくのです。

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