違う
ワンネス、WE ARE THE ONE、大いなる存在、、、空、、、、そうです、、本当にそうなんです、、、今まさに我々の本質はそれ、、であり、、、それ以外にはなることができません。生まれた時から死ぬまでこの体が朽ち果てるまで、、、「それ」です。ですから悟りを開くとか、、、本当は意味不明なんです。だって最初からそうであってそれ以外にはなれないのですから。
言葉
「それ」の中、その中に自然現象として言葉が生まれました。言葉は空間に生まれたんではありません、、「それ」が言葉となって現れでたのです、、、その時「認識」が起こり、、、、「認識のままの感情」が起こります。「それ」が「そうなった」のです。言葉は言葉のままにイメージを起こしますから、、なんでも作れます。「この宇宙の中の小さな私」という言葉が起これば、、、、「そのままに」イメージが起こります。そのイメージが起こることで「縁」次の言葉が飛び出し、次なる「イメージ」が起こるのです。
この奇跡
全ては奇跡です、、だから言葉も奇跡です、、、、この奇跡に自覚がないから「言葉」が次から次へと現れ出し、、言葉のままに「感情」が起こり続けているのです。種も仕掛けもなく、、起こる言葉起こる思考のままに、、、認識が生まれ、、、その認識が次の言葉、思考を生み出し続けているだけです。そこに気づいた時、、ビックリします。完全に完全に分かっていなかったと。
完璧な勘違い
完全無欠な勘違いが起こっていたのです、、完全無欠な「思考」の認識だけが起こっていたのです。「思い込み」という現象がただ起こり続けていたのです。「思い込み」が「思い込み」を作り続けていただけ、「思い込み」に「思い込み」が反応していただけなのです。そのことに気づいた時「思い込み」の次に「思い込み」が起こりません。だって「思い込み」が起こった瞬間「思い込み」と気づかれるからです。
悟り
悟りとは「言葉」が生み出した「思い込み」を「思い込み」と気づくことです。「思い込み」という経験だけが起こり、、その経験を「思い込み」と気づいた時、、、もう「思い込み」が起こらなくなります。その時、、真の静寂、真の平和、真の安らぎそのものだけが残ります。本当は真の安らぎの中に「思い込み」という経験だけが起こっていたのだ、、、、という気づきに至ります。