勘違いの悟り
悟りを悟る、目覚めに目覚める、解放を解放する、、、そうです、、現存する「悟り」「目覚め」「解放」は思考の産物であり、、これは多くの場合「イメージ」です。このイメージが真実とかけ離れているため気づきが遅くなります。だから一番重要なターニングポイントは悟りとは本当は何か????に気づくことになります。目覚めとは何なのか?????解放とは何なのか????です。
個人が成就するもの????
この世界には分離は存在しないので「個人が悟る」という事実は絶対に絶対に起こりません。これがもしも起こるならば「思考の中」「ストーリーの中」「私物語の中」だけです。悟りとは「個人も含め分離は完全にない」と気づくことです。だから私も、悟るという分離動詞もありえないのです。本当は絶対にありえないにも関わらず起こったならばそれは全部「思考の中で」です。
明確な線引き
悟りとは分離の完全否定です。にも関わらず言葉による悟りの解説は、、分離によって行われます。ここが矛盾点です。言葉自体がこの世界を「切り裂く道具」であり悟りを閉ざす真犯人です。この言葉を使って悟りを解説するという究極の矛盾を抱えている、このことに気づけば、、言葉による混乱を防げます。切り裂く道具を使ってこの世界は切り裂かれていないことを証明するのです。ゾクゾクしますね。