植物学者

公園

植物学者が公園を歩けば、、「一歩歩むたびに知っている植物が飛び出してきます」、、、、パンジー、チューリップ、シダ植物、苔植物、、シダ科の〇〇、、苔科の〇〇、、、、広葉樹の〇〇、、、、入ってくる情報量が全く違うのです。空の影(全現象)から記憶によって切り抜き(何科の〇〇植物)が始まり、、それが現れ出るのです。一般人が公園を歩くはるかに多い切り抜きが起こるのです、自動的に。ですがここは空の影ですから、、、、切り抜かれた「存在」は存在しません、、一切の分離が存在しない影、、それがここです。

街を歩けば

いまここで街を歩けば、、、記憶から起こる切り抜きが次々に起こります。「ナイキを着た女性」「パタゴニアを履くオッサン」「ビンテージジーンズを履く男性」「マクドナルド」「〇〇」自動に自動に記憶から切り抜きが起こるのです。完全分離のないこの世界に切り抜きが起こります。ですがここが空の影ですからどれほど切り抜かれようと、、、分離は起こりません。この切り抜きこそが分離感を作り人間を苦悩に陥れるのです。

じゃあ

記憶から勝手に「切り抜き」が起こるならば、、、もう我々は「切り抜き」からくる苦悩からは絶対に絶対に逃れられないですよね????????100パーセント自動でこの切り抜きは起こるのだから。大丈夫です、大丈夫なんです、、、、、我々はこの「切り抜き」を本気で「分離した何か」であると今まで信じてきたんです。疑いの中で信じてきたんです。だから苦しんできた。ところがこれは絶対に切り抜けない何かを強引に切り抜いてきたんだという新しい認識が生まれます。つまり切り抜きながらもそれは不可能であることを自覚するのです。つまり真実を100%自覚しながら切り抜くという認識に至るのです。

その時

分離感、違和感、孤独感、、、、が起こりません。なぜならば「感」とは100%その存在を信じることで起こるのですから。「切り抜き」を「切り抜かれた何か」という信念が崩れるのです。その時「分離感」が起こらない、、、「私」という存在からも分離感が起こらない、、、、もうその存在を独立した何かであると信じていないからです。完全な静寂の中で完全な安らぎの中で便宜上の「切り抜き」はそれでも続きますが、、そうなります。

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