後悔

影の動き

我々の影の動きです、、、「我々」というのも思考という影の動きです。影の動き以外はここでは何も起こりませんし、、全現象が影の動きです。どのような影の動きがあってもそこには「主体」は存在しません、、もしも主体を感じたとしても「主体を感じた」という影の動きが起こっただけです。実際には構造上「不可能なのです」。「主体も不可能」「分離も不可能」「孤独も不可能」です。構造上不可能な事実を感じたならば「そう感じた」という影の動きだけが起こったのです。

この事実

この事実の理解が起こった時に「後悔」という思考の動きが起こりにくくなります。構造上「主体」が存在しえないにも関わらず「後悔」って考えるのが不可能なのです。「雨が降った時」そのことに後悔するってできるでしょうか??????私は今雨が降ったことを後悔してます」って文章として成立しないのです。文章として成立しないことを理解しながらこの思考を維持することが難しいのです。

私の行動を反省しています

この文書は構造上成立しないのです。行動をコントロールできる誰かはこの世界には存在せず、、全ては影の動きです。そして影自体は影の動きをコントロールできません。つまりコントロールできるという思考が影の動きの中で起こるのです。思考も100パーセント影の動きです。

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