壁打ち

サッカー

サッカーの練習には「壁打ち」というのがあります。サッカーボールをただ「壁に向かって打つだけ」ですが蹴ったボールがあらゆる方向に跳ね返っていくため「俊敏性」「キック力」「予想力」あらゆる能力がこれだけで身につきます。実は実は人間関係とはこれです、、、他人とはただの壁です。壁と同じで打てば必ず反応するのです。そしてそこには全く持って主体性のある意図はありません。

おはよう!!!!

お早う!!!!というこちらの言葉に他人(壁)は反応します、、「元気?????」というボールが返ってくるか、、、「お茶しよう!!!」が返ってくるか「宿題やった?????」が返ってくるか全く読めません。なぜか「壁=他人」にも何も分からないからです。なぜならばこれはただの反応だからです。たった一つ言えること「反応だけは起こる」ということです。壁(他人)には一切の選択肢が用意されていないのです。

こちら側(私)

ではこちら側(私)はどうなのか?????私には「選択肢」はありますよね??????ないんです。全他人に選択肢が無いにも関わらず「私だけ」に選択肢が用意されているって意味不明ですよね??????そうです。ないんです。私も壁です、、壁そのものです。向こうから飛んでくるボールにただ勝手に反応が起こるだけなんです。だから何もできない。

「私がやっている」という感覚

我々は壁でしかないにも関わらず「私が選択肢を持ってやっている」という感覚がやはり勝手に芽生えます。跳ね返した「ボール」を俺が返した!!!!という思考感覚が起こるのです。そして他人(壁)にもそれが起こります。ボールの反射の連続の中で「ありとあらゆる思考」が勝手に湧き上がり「感情」が勝手に湧いていきます。ボールのやりとりに伴う、、「動き」が起こるのです。

壁の状態

壁の状態は「起こる思考感情」によって変わります。昨日は「元気いっぱい」だったのが今日は「元気なし」の反応にも当然なる。ただしこの反応も完全自動です。そこには自由意志は一切ないのです。