「私はメッシ」という感覚

サッカー選手

今日は自分がメッシになったつもりで「プレイ」しました。自己洗脳です。メッシになったつもりでやったら「何でもできる気」が湧いてきましたよ!!!!!!明日の試合も「私」は「メッシ」になりきって「メッシの気分」でやりたいと思います。これスポーツ選手はよくよくやるんです。だから選手の多くは憧れの選手を持ち「その選手のユニフォーム」を着て練習したりします。

「私感」から「メッシ感」

メッシ感はメッシという言葉が作り出すのです。私感は私という言葉が作りだすのです。「私感」が「メッシ感」を味わっているんではないですよ!!!!!!私感もメッシ感も同じ「感覚」ですから。。。。ではサッカー選手が「メッシ感」を味わっている時、、どうしているんですか???????誰がメッシ感を味わっているんですか??????

誰も居ない

誰も居ない存在が「私感」を味わい続け、、、、試合中は「私感」から「メッシ感」にシフトチェンジしたんです。「私感」からメッシという言葉を利用して「メッシ感」にシフトチェンジしたんです。私がメッシ感を味わっているんではありません。「私感」から「メッシ感」に「変わった」が起こりました。「メッシ感」の認識がが「万能感」を起こし「万能感」の認識が「余裕感」を起こしたのです。認識の連鎖が起こったのです。

認識の連鎖

「私感の認識」が「分離感」を起こし「分離感」の認識が「孤独感」を起こし「孤独感」の認識が「苦痛感」を起こしていきます。認識を起こすのは「私」ではありません、つまり孤独感、苦痛感、分離感はただ連鎖のようにこの世界に現れては消えているのです。この連鎖をどうやって消せばいいのか??????『今です』、、この事実を「認識」すること、、これだけがこの連鎖を止めます。

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