とんでもない幻

全幻

全幻は自我によって認識されてはいません。全幻想は自我によって認識されず起こったスペースによって認識されます。この見える世界この聞こえる世界この触れる世界この味わえる世界この香える世界は起こった瞬間にスペースによって認識されます。ところがこの認識を自我という幻が行なっているという間違った認識が起こり、これが夢物語、私物語、マイストーリーと呼ばれます。ですが実際にはこの認識は自我とは全く関係なくただ起こるのです。

自我

自我とはどこまでもあるように見えるし感じるし実際に幻として存在します。だから多くの人はあの人はキャラが立つ、キャラが立たない、、あの人は良い人だ、あの人は悪い人だ、、と常に自我は評価の対象になるのです。人間によっては自我は完全に存在する対象です。ですがこの自我は幻想です。コーヒーカップと全く同じです。あるように見えるし感じるし触れるし、、ですが幻です。自我も完全にあるように感じれる間違いのない幻です。

悟り

自我を無くそう、なくそうという動きは目の前のコーヒーカップを無くそう無くそうとするのと同じぐらいに馬鹿げています。目の前のコーヒーカップは無くそうという動きで無くなりますか????絶対に絶対に無くならないのです。自我も同じです、無くそう無くそうとして無くなるわけがない。。。。幻想とはないけども100%あるように見える感じる存在なのです。それは無いように感じるは不可能です。在るように感じるから幻想なのです。

ハッピー

私は今ハッピーです。これは嘘です、これは不可能です。。。私とは幻想であってハッピーになることはできません。私はどこまでもあるように感じる存在ですが幻です。ハッピーにもアンハッピーにもなれないのです。ですが100%ハッピーという感情は起こりますし感じます、、これは事実です。ですがこれは私が感じてはいないのです。私は感じることだけは不可能なのです。私を感じることは可能です。ハッピーを感じることはできます。ですが私はハッピーを感じることはできません。

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