自分
見かけ上の私は湧き上がるエネルギーこの体の中から湧いてくるエネルギーを「自分」と捉えてきました。恐らく周囲の人間よりもそれが多くゆえに「自分」という存在は人よりも「大きい」のだという錯覚を起こしながらいきてきたのです。この湧き上がるエネルギーは事実でありよってこの「自分」も事実なのだということです。しかしながらこの湧き上がるエネルギーはただのエネルギーであって「自分」ではありません。これを「自分」とする思考が起こったのです。
エゴ
湧き上がるエネルギーを「自分」とすることで、、この自分はもっと評価されるべきだ、もっと活躍すべきだ、、もっと多くを手に入れるべきだ、、、となります。体に起こる特徴を「自分」とする動きこそがエゴであり、それは美貌、若さ、特殊能力、ユニークさ、学歴、なんでもいいのです。これを「自分」とする動きこそがエゴです。私の場合は胸の辺りに「湧き上がるエネルギー」をアリアリと感じるためこれを「自分」とする動きが起こったのです。
五感
このありありと感じる胸の辺りのエネルギーを「自分」とすることで、、自分と自分以外が誕生し、、この世界は二元性の世界に入ります。私が居て周囲が居るというドラマです。ですが今この胸の辺りのエネルギーを「自分」とする動きを見切ることで、、その動きが止まります。すると自分の拠り所がなくなり、、。自分をやるという動き自体が止まるのです。
生命
この体に湧き出るエネルギーを自分ではなく「生命」と捉えます。生命の動き、、ただそういう動きがある、、そう捉え直すのです。それがお腹であろうと頭であろうとも、、その動きを生命の動きと捉えるのです。そして生命の動きと捉えるのは、、概念ではなく真実です。ここでは実は生命の動きしかそもそも無かったからです。
悟り
悟りとは、、この生命の動きを「自分」とする動き、、思考によって想像されるエゴいスティクな動きマイストーリーを作り出す動きを見切り、、それは本来生命の動きでしかないことを見切ることです。生命の動きは千差万別ゆえに、、「独自」の差別化が起こり、、よってこれは無意識に「自分」をやります。おかれた環境、おかれた身体状況、おかれた才能、おかれた〇〇、、、千差万別な特徴があり、、よってそれを「自分」とする動きを自覚的になるのは難しいのです。それこそが無知につけこんだ自我の動きです。その特徴にアイデンティファイしそこにアイデンティティを形成するのです。それが自我、エゴです。