終わった

脱落

悟りとは現代社会からの脱落です。現代社会ではこの体には個人が居てこの個人がこの社会に何かしらの貢献をするという前提で動いています。多くの貢献をすれば世間では褒められ評価され、、貢献を一切しなければ卑下され疎まれる対象になります。よって個人はあらゆる方法で方向で社会への貢献を考えるのです。女性であれば綺麗にあること、しなやかであることで、包容力で、、男性であれば強くあることで、たくましくあることで、知的であることでこの世界に貢献を果たそうとするのです。ですが悟りは「その個人は居ない」という真実を突きます、個人が居ないのですから個人の貢献すらない、、となるのです。

では

では悟りとは全く何もこの社会に貢献をしないのか????厳密に言えばその通りです。ですが個人が居ない代わりにこの社会(幻想)そのものが自分だったっという完全な革命パラダイムシフトが起こります。この幻想(社会)の中にはこの体すらも含まれ、、全部が全部でこの私です。全部が全部ですから「私」という概念すらももう起こりません。五感は100%起こります、思考も感情も100%おこりますが 、、=個人と社会の確立ではないことに気づくのです。五感こそが社会、個人、この体を作り出す大元、根源だったのです。この気づきが悟りです。

そもそも

なぜみんな社会で認められたいのでしょうか???なぜ親に認められたい???なぜ男性は女性に認められたい???なぜ女性は男性に求めてもらいたい???なぜ?????それはこの体という個人の外に渇望があるからです。どうもこの体以外に漠然とした渇望があってゆえに社会に求められ認められようやく、、、お腹がいっぱいになると信じているんです。ですがこの体この個人こそが、、、嘘であり、偽りであり、錯覚なのですから、、その個人が社会に認められても、、いつか認められなくなる恐れを抱えて生きていくことになるだけです。女性であればいつか若い女性に負ける日が来る、男性であればいつか若い男に力で負ける日が来るのです、これを恐れて生きていきます。

悟り

悟りとは個人の終焉です、この体の中に個人が居てそれ以外の社会の中でサバイブするのではなく、、、この体も五感が作った幻想であり、この社会も五感が作った幻想であることを見抜くことです。全部が全部幻想であるならば、、そこには自由意思があるはずがなく自由意志を行使してきたはずの個人も幻想です。幻想とは本当は絶対にないものですから、、そこへの気づきは大きいものです。明らかにあるように見えて実際には絶対にないものが幻想と呼ばれます。そうです、我々は明らかにあるように見えて絶対にないものなのです。ですがこの幻想を100%実感する存在が100%いるのも事実です。これが我々の本質です。