神以外にはなれない
「鈴木さん来週ゴルフどう?????」この言葉は、、神が認識し、、、イメージ化し、、「行きたい!」が生まれればそれを神が認識し「是非行きましょう!」という言葉が鈴木さんと呼ばれる体から発せられます。認識は全て神が行っています。言葉のイメージ化も言葉の登場も。。。。では鈴木さんは何をしているんですか????そもそも鈴木さんは居ないんです。
神の全行為を
言葉の認識、言葉の出現の全てを神が行っています。ゴルフに誘う友人の発言も認識も全部神です。この神の認識を「鈴木という私」がやっているという勘違い思考が起こっています、この思考も神によってイメージ化され、、「違和感」が生まれます。この違和感を埋めるために、、「ゴルフ後に飲みに行こう」が神によって発せられました、鈴木さんという体を通じて。
鈴木さんが間違いを犯しているのではない
勘違いを起こしたのは「鈴木さん」ではありません。。。神が起こす現象の中に「勘違いの思考」が起こったのです。この思考は神によって認識されイメージ化され、、違和感が生まれ、、その違和感を消すために、、、「その後は飲みに行こう」が生まれました。誰も悪くないのです、、これが起こっていることに気づくのです。
勘違いの思考のみ
今も全世界で行われている会話の全ては神から起こり神がそれを認識します。全部神です。神以外には言葉の認識も言葉の出現もできません。その全てがこの体を通じて起こっているだけです。その中で「この体が全発言認識を行なっている」という内容の思考が生まれます、、その思考も神から起こります、そして神が認識します。すると違和感、緊張が生まれます。するとこの違和感緊張を打ち消すべくあらたな思考が神から起こるのです。全自動です、ここに「意志のあることになっている体」が入り込む余地はありません。
神々の世界
我々は勘違いの思考が蔓延する神々の世界に生きています。『この体には自由意思がってそれをコントロール「私」が居る』という勘違いの思考が蔓延する神々の世界に住んでいるんです。この世界の勘違いを見抜いたら我々は即神の世界に戻れます。なぜならば勘違い以外は、、この世界には何もないのです。今も空(不変の自己)から全現象(色)が生まれ、、それに気づく意織があります。ただそれだけ。