我思うゆえに我あり

絶望

デカルトの有名な言葉「我思うゆえに我あり」、、、この言葉は絶望の言葉です。思考を自分自身とした概念です。起き上がる思考を自分と定義したのです。これによって我々は思考共同体になったのです。ところがこの思考実は勝手に湧いてきては勝手に消えていくという、、存在です。何の自由意志もなくただ湧いてきて消えていきます。これを自分自身と定義してしまったがゆえに人間は地獄を味わうのです。暴れ馬に乗って私はこれを完全にコントロールしていると宣っているのですから。

先ずは暴れ馬を手放す

思考感情は暴れ馬です、、先ずはこの二つをコントロールできるなど思わないことです、そこに気づきます。暴れ狂うこの二つをコントロールなどせずに、、放置しましょう。ただ観察するのです、暴れ馬が今日も暴れているなーです。そこに乗っている「自分」など居ないと悟るのです。これだけでも十二分に楽になります。思考感情をコントロールなどできないことを悟りますと、、人生は一気に軽くなります。

コントロールできないならば

思考感情をまるでコントロールできないならばもうそこに乗っている「自分」なんてものは記号でしかない、、と悟ります。コントロールできない存在に「自分」などと称号を与えるからおかしくなるのです。自分とは便宜上割り当てられた「記号」です。そして「人格」などという概念もただの記号、キャラです。

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