マリオがスーパーマリオになった時

私が絶好調になった時

私が絶好調になったっ時ってマリオがスーパマリオになったっ時と全く同じです。私が周囲の評価を受けた時とマリオが、スターを手にしてスーパーマリオになった時って全く同じなんです。で、、、実際に何が変わったんですか?????????認識が変わりました、、空、絶対、不変の自己が、、その事実を認識しました、、すると安心という思考、感情が起こりました、終わり。

私が絶好調になろうと

私が絶好調になろうと、マリオがスーパーマリオになろうと、、、、ただその認識がある以外に何も変わりはしません。その絶好調は、、当然直ぐに終わりますから、、、またその認識が起こります。私が居るという思考概念が続く限り、、、「苦しい」はエンドレスであり、、、その事実は何も変わりはしないのです。ですから、、、主体が、、「私」からこれを認識する存在「空」にシフトしない限りは、、、苦しいのままです。

絶好調になった「私」が貪る????

私が絶好調になったならばそれ自体が幸福至福でしょうから、、、他に何かを求めるっておかしいですよね????なぜ求めるんですか????????絶好調ならばそれでOKじゃないですか。。。。つまりつまり主義が自分、私、俺であるいじょう、、、絶対に幸福にはなれないのです。調子が良いからハメを外す?????おかしいんです。どう考えても。