神が言葉を使ってイメージを見ている

この世界は言葉が作ったイメージの世界

「り・ん・ご」この三つの音の組み合わせで、、、りんごという果物がイメージできます、、、「ワ・イ・ン」この三つの音の組み合わせでワインという飲みものをイメージできます、、見かけ上の私は、、言葉を暗記して、、その言葉のイメージを想像し、、、その想像とこの現象の組み合わせの中に住んでいるのです。思考しているときは、、言葉を駆使して、、、イメージを作り上げ、、この見かけ上の「私」が織りなす、、イメージの世界のストーリーを制作しているわけです。言葉を暗記することでこの想像行為が可能になりました。

現象を眺める度に

現象を眺める時に、、、その現象が視界に入り、、次のこの現象がかつて覚えた「や・か・ん」というイメージと合致し、、、独立分離した「やかん」を見ることができています。言葉を覚えることで、、この現象界の中で、、分離したことになっている「やかん」が登場します。。この学びが無ければ、、見かけ上のその人の世界には「やかん」は登場しません。

この芸当はができるのは神だけ

この芸当ができるのは神だけです、、音の組み合わせ「み・か・ん」でみかんをイメージする、、これを感じているのは神です、、この音を起こしたのも当然神、、これを見かけ上の私が感じている、、という思考を津壽太のも神であり、、、そうイメージするのも神です。。。これがこの世が夢であると言われる所以です、、、神が言葉を駆使してこの一つでしかない世界に分離した「もの」が存在するというイメージを起こし、それを見ている「わたし」もイメージしました。。このイメージを感じているのは神です。神が作ったイメージで神はそのイメージを神は感じています、、どこまでいってもこれは神の一人芝居です。

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