海であることを忘れた波は徒党を組む

波にとって個人は非常に弱いので徒党を組んで強いと勘違いしたがる

海であることを忘れた波は、広大無辺な存在から波という極小サイズに縮こまれてしまったので常に心細くなります。当たり前ですが本来が広大無辺な存在ですから比較にならないほどに心細く感じます。心細い時に周囲に仲間の存在は重要になります、結果波は徒党を組んで生きていくのです。〇〇学校、〇〇中学、マルマル専門学校、〇〇部活、〇〇団体、〇〇会社などなど、、、とにかく波は集団にゾクしたがるのです。その最も大きな集団が〇〇国です。もしも国際条約が成立して国という組織を解体しましょうと各国で締結したら全世界の人間が反対するでしょう。急に心細くなるからです。

会社に行って、夕方から〇〇会に参加、夜は家族で食事

人間は一日中どこかの組織に属していたい動物です。朝は家族の中で目覚め、そこから会社に行き、帰ってきたら仲良しグループで遊び、そこからまた家族の元で眠る。これらは全て無意識に行われているわけですが自我はこれを作為的に行います。個人=弱いですから、いかに個人が寄り集まって弱さを忘れたい、弱いことを忘れていたいのです。個人が集団になった時に強くなるということではありません、弱さを感じないで済むということだけです。波が求める強さとは海の強さです。波がどんなに寄せ集まっても海の強さとは異質にものなので意味はありません、それゆえ個人は一旦徒党を組み始めると無尽蔵にその組織拡大を目指したりますがそれは海になるわけではないのでいずれ崩壊します。

無心に入れば徒党を組まなくなる

波がどこかのタイミングで無心に入るコツを掴んだり、無我夢中になってそこから強さを感じることができたならばもう徒党を組むことに興味を無くします。たった一人の状態から無我、無心、大いなる一つにシフトできたならばもう弱さを感じることはなくなり徒党への興味も同時に無くします。徒党を組むことが強さを感じることならば無我、無心、真我に入っても徒党にも興味を持ちますが質が全く異なるまで比較にすらならないのです。書道から無心に入る、掃除から無心に入る、仕事から悟りに入る、音楽を聞いて無我に入る、、、人間はどのような状態からでも実は無心、無我、海、強さに入ることができます。

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