全てを自分ごとにする癖

全ては自分に向かって起きている

事実ではこの自分という存在とは何も関係なく現象が起き続けるだけです。自分など何も関係なく現象が起き続けそしてこの自分の体を通じても様々な事象が起き続けます。これを止めることができる存在は居なくただ淡々と事象が起き続けるのです。本当にただこれだけです、風が吹き、太陽が周り、雨が降る、この体も動き、発言もし、思考もする、、これが延々と起き続けています。そこに自分が居るという思考が湧き起こると事象は自分に向かって起きているという思考もまた起きるのです。

今までも自分とは何も関係なく起き続けこれからも起き続ける

これまでの自分人生もこの自分とは何も関係なくあらゆる事件が起き続けました、そしてこれからも同じように起き続けます。その事象を自分に向かって起きていると捉えるが起きるのか、自分など存在せずただ起き続けると捉えるかによって人生の重みが変わってきます。自分に起きたが湧くのか、ただ起きたが湧くのかです。事象に名前というラベルが貼られているこを見抜くと自分というラベルも剥がれ落ちていきます。

自分以外のラベル剥がし

自分というラベルを剥がすのは難しいものです、ですが周囲のラベルを剥がすのは意外と簡単まずはそこからスタートしましょう。雲という決まった物質は存在せず空に薄く広がった白い模様を雲と呼んでいるだけ、川という決まった物質は存在せず陸の間を流れる水を川と呼んでいるだけ、海という特定の物質があるのではなく水が広がる彼方を海と呼んでいるだけ、、、名前が付けられた事象は実は区切りなどなく、、こちらの勝手で区切りらしきものを設け呼んでいるだけ、、この作業を延々と続けそこに自分を付け加えたのが我が人生。

ただ生命現象が広がっている

これまでもそしてこれからも私の目の前にはただ生命現象が広がっていきます。名前というラベルを剥がしてしまえばたった一つの根源が移ろっているだけです。そしてそこに自分という個別の生命体など居るはずがない、、自分というラベルを最後に剥がすと全てになります。色即是空、空即是色があるだけです。こんなことが分かって何になるのか?その疑問が湧くうちは分かっていないだけです。

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