景色が重いならば思考の世界に入っている

この完全な世界に

この完全な世界がもしも重く映っているならばそれは思考の世界に入り込んでいるからです。自分という存在を圧倒的に信じその自分を幸福にしようとうするゲームに入り込んでいます。この場合はこの自分は全く幸福になることがなく浮き沈みを繰り返していきますから地獄の世界に突入します。この自分が居るいう大前提こそが=地獄なのです。サーフィンをしている時、美味しい料理を食べている時、音楽に浸っている時、、、自分など絶対に居ないはずです。ほとんどの時間自分など絶対に居ないはずなのになぜかこの自分を強く意識この自分を損させないようにするから重くのしかかってくるわけです。

自分が居るか白黒つける

美味しい料理を食べている時、その時に在るのは、、食感、味覚、嗅覚、喉越し、視覚のみです。自分など全く居ません。友人と話をしている時、友人の映像、声、匂い、触覚のみです、、そこには自分など絶対に居ません。スポーツをしている時、、、ボールの感覚、ぶつかる体の感覚、芝生を踏み込む感覚のみ、、そこには自分など絶対に居ないのです。いつ自分というものが現れるのでしょうか?????そんな瞬間は生まれてこの方あったことがないのです。

自分というものが絶対に居ないことが分かったら

自分を見つけることが出来なかった時、絶望が湧いてきます。自分を見つけることが出来なかった時にその絶望はどこから湧いてくるのでしょうか?自分ではありませんよね笑そうです根元からです。自分を見つけることができなくて自分から絶望が湧いている思ったらこれはギャグです。自分を見つけることができないのならば次に湧いてくる思考はどこから湧いているのでしょうか???そうです、根元です。これがこのトリックの見破り方です。

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