苦しむことが難しくなっていく

真剣に苦しめない

二元の世界に生きていると真剣に思えている時は苦しむことができます。見える世界が実在していると思っているから何かを失うということも、何かに傷つけられるということも、自由を奪われるということもできます。ですがそのドラマを真剣に信じ込むためには実在していると真剣に信じないといけません。ですが実際は全くもってたった一つのエネルギーが織りなすアートであるこを今はもう分かっていますからそれができないのです。粘土細工で出来た指輪を貰っても真剣に喜べないように、やはり人から取られても真剣に落ち込めないわけです。

真剣に楽しめない

と同時にこれまでのように何かを手に入れて楽しい、何かを達成して嬉しい、、何かが成就して満足、、これもなかなか難しくなっていきます。そもそも全部が宇宙のアートであり手に入れるべき物も手に入れる人も存在していません。このことが完璧に理解できている今、他の人々が行っている楽しいと呼ばれる行為をしても同じようには楽しくありません。

新しい衝動

他人とは同じようなモノを持っていないからと言って悲しむことはできず、他人が羨むようなモノを手に入れても楽しいとは思えない、、、何か虚無的な感じがしますがそうではありません。この見える世界には宇宙アートしかない、、この認識になって生きていますとあらゆる重荷が落ちて中からの衝動が込み上げてきます。これをしたい、アレをしたいが込み上げてくるのです。本当はこんな感情があるんだ、、、そんな気持ちになるような衝動がこの体に込み上げてきます。この突き動かす衝動を叶えるための道具に自分はなります。宇宙というアートに参加する感覚です。

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