負の感情から逃げるという生き方から負の感情を使って悟るという生き方へ

これはポジティブシンキングとは全く違う

私は基本快楽主義です、ですから嫌なことは大嫌い、やりたくないことはしなくていい、我慢など愚の骨頂、常識世間体糞食らえで生きてきました。これをしないために仕事に打ち込んで結果を出すことでこの生き方を継続してきました。仕事技術達成のための負の感情はルーティンという反復作業で無思考に持ち込みむしろ楽しんでこれを達成してきました。だからこそなおのこと「やりたくないことはしない」こう決めて生きてきました、エックハルトが説く感情観察から悟りに入る方法は知ってはいましたが自分には関係ないとタカを括っていました。ですがどうしても気になる、どうしても避けて通れない、、負の感情から逃げるという癖がついた自身のエゴがこれを強烈に避けているところに悟りのヒントがあることは分かっていました。感情観察はポジティブシンキングとは全く違います、ポジティブシンキングとは観念書き換えです、ですがこの観念こそが負の感情を生み出しているというのが悟りです。観念はポジティブだろうとネガティブだろうと負の感情を生み続けます。その観念を支える思考というエネルギーこそが偽りの自分を作り出しているからです。

負の感情は見なくていいと決めていた

私は究極の快楽主義です、ですから負の感情とは見なくていいものと決めていました。とはいえ一日2時間以上のエクササイズを自身に課し、1日2時間以上パソコン作業に向かい、さらに仕事もする、、、ネガティブな感情が湧かないわけがない、、、ところが作業に集中する、無心になる、無我になるという感覚を習得した私にとってこれらはネガティブな感情を沸かす要因にはならなかったのです。もしもあるとするならば対人関係で嫌なことを言われる、軽い態度を取られる、、恩を仇で返される、、、などでした。そしてこれらが起こった際には冷静なNOで対処してきました。ですから負の感情を味わうことがほぼほぼ無かったのです。

これからはしっかりと観察していく

1日のほとんどの時間を無心、無我の状態で過ごすことができる自分にとって嫌な感情と向き合う時間はほぼなくそしてそれを気にもしませんでした。ですがエックハルトトールの思考観察、感情観察を読み返していくうちにこれは今後積極的に自分の人生に取り入れていくことを決めました。自分自身から湧いてくる思考、感情を観察するということは難しいことではありません、なぜならば人とのコミュニケーションではこれを冷静にする自分がいるからです。なぜ自分の思考、感情を観察するのが難しいと感じているのか?これぞ自我の策略、自我の延命措置に間違いないでしょう。

負の感情観察から無我に入る

負の感情観察から無我に入る、、、これは矛盾を抱えた表現にも思えます。負の感情を生み出しているのは紛れもなく自分自身でありそれを観察することで無我に入るとはどういうことでしょうか。負の感情を生み出しているのは自分自身であるのですがそれが偽りの自分自身だということです。偽りの自分が居るからこそ負の感情が湧き起こっているのです、これを真我、無我で観察します。大いなる存在としてこの感情を観察することでそのまま歓喜、安堵、平和になります。負の感情が湧くということは偽りの自分がそこにはあり、だからこそそれを真我で眺めることで偽りの自我が消滅します。負の感情発生とはそこから悟りに入る大チャンスだったのです。

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