悟り(非二元)解説

コンフォートゾーンに捕まる自我

自我とは情報

なぜ自我はコンフォートゾーンをシフトされることを嫌うのでしょうか????自我は情報だからです。現状という情報によって自我は支えられていますから、、、これが無くなってしまったら自我が消えてしまいます。例えば大企業の社員である自我は会社が突然潰れてしまえば、、情報が書き換わってしまいます。もう大会社の自我では無くなってしまうのです。ゆえに会社の倒産を恐れるのです。本当は自我とはセルフイメージであって、、実在しません。ですがこれを実在していると勘違いしますと変化への恐れが大きくなります。

情報でしかない

自我とは実在ではなく情報です、、よって情報が書き変われば自我は消えます、、ゆえに自我を実在と信じる人々は、、コンフォートゾーンの変化を過度に恐れるのです。情報の変化は自我自体の大転換です。〇〇君のお母さんの〇〇君が突然家を出れば、、、お母さんがお母さんではなくなってしまうのです。ゴールを次々と変えていく、しかもコンフォートゾーンの外に変えていくのは、、自我の転換を能動的に行うことです。

実在しないものを実在と勘違いさせるカラクリ

自我とは情報ですから実在しません、、ですがこの社会では実在しているという勘違いで成り立っています。この体が死ねば私も死ぬ、、本気でそう信じています。だから、、自我を取り巻く環境が変わることは自我の死を意味します。よってコンフォートゾーンにも必死でしがみつくのです。コンフォートゾーンにしがみつくというこの事実こそが自我が実在せず情報でしかない証拠です。

要望に応えられない

お互いの要望

こういう人じゃないと嫌だ!!!これは自我の要望です、、私に釣り合う人はこうじゃないと嫌だ!!!!です。これを所有するのはいいのですが、、、多くの場合相手も俺に見合うのはこういう人じゃないと、、、があります。お互いがルールを持っているのです。ところがです、、ところが、、宇宙にはルールがないのです、、宇宙にはルールが存在しないのです。にも関わらずルールを作れば、、、そのルールによって本人が苦しむのです。つまり叶えるまでも苦労が続き叶えた後も苦労が続きます。

高収入

私が結婚するならば高収入の男じゃないとダメ!!!このようなルールを設けますと、、、、このルールによって苦労します。。。先ずは婚活で苦戦するでしょう、、、次にデートでも苦戦します、、、そして結婚後は、、そのルールを手放すまで、、、何かしらで苦労します。浮気、会社の倒産、、、、最後に、、男は年収じゃない、、年収なんて関係ない、、、ルールを捨てるまでこのルールに苦しむのです。

有名企業

務めるならば有名企業でしょ!!!このルールを持っていますと、、、先ずは就職活動で苦労します、、次に勤めることで苦労します、、次に婚活で苦労します、、次に生活で苦労します、、、、全部が全部このルールによる苦しみを味わいます。。いやいや結婚後は安泰でしょう????違うんです、、有名企業ならではの転勤、激務、何かで苦労します。。なぜならば宇宙にはルールがないからです。

自我の逃走

欲しいけど逃げたい

結果が欲しいから結果を出している人に素直に聞いて教えてもらいたい、、、、ですがそれをするとマウントを取られてしまうから怖い。結果は欲しいだけどマウントを取られるのが怖い。これが自我の無意識な行動です。無自覚なんです、無意識です、、、自我は、、怖いんです、、だから逃げます。結果に一番飢えているのも自我で、、恐れているのも自我なんです。自我とは矛盾を大きく大きく抱えた存在なんです。だから苦しいのです。

有名人に憧れるが同時に一人にしておいて欲しい

有名人みたいにチヤホヤされてみたなー、、、同時に街を歩いていて知り合いに会うのって本当に面倒くさい、、つまりチヤホヤされたいけれど同時にほっといて欲しい。。これが自我です。矛盾なんです、、。、どこまでいっても矛盾なんです。。だから自我の要望を叶えても意味ないんです、、本当に苦しいだけですよ。そうじゃなくて、、、自我をイメージと見破って、、もう自我の要望を聞く必要がないことを悟るのです。

終わった

大きな大きな執着が剥がれ落ちた時に、、戦いが終わります、、、これが悟りです。異性への憧れ、お金への憧れ、安全への憧れ、、、これらが剥がれ落ちた時が最高なんです。もう苦しまなくていいからです。多くの方は叶うことが幸せだと勘違いしていますがこれが正反対なんです、、、もしかしたらそうかも????とは分かっていますが、、それでも止められない、、、だって欲しいのですから。

心配ご無用

この真実を早く!!!

真実に目覚めてきますと、、、この真実をあの人に絶対に伝えなきゃ!!!が起こります、、あの人苦しんでいるしなんとかしてこの真実を!!!です。残念!!!!全く意味なし全く必要なし、、です。なぜって?????相手は大いなる存在の変化です、、大いなる存在が悩んでいるフリをしているのです。大いなる存在が以外がこの世界には登場できないのです。

趣味として

趣味としてどんな変化が起こるか楽しくて、、、これならばOKです。ただのゲーム、、、何か変わったら楽しいようね!!!これならば真実を理解した行動です。自殺率NO1の日本人を救わなきゃ!!!!はいらない、、だってその現象も大いなる存在ですから。全くもって心配ご無用です。

分かってた

子供の頃って不思議で、、救わなきゃいけない人なんて全く登場していなかった、、、あの人可哀想!!なんて感じる人っていなかったんです、、、大人になって偏見まみれになって、、可哀想!!!と思える人を作りあげたのです。観念、信念、価値観が、、そのような人を作り上げたのです。

セルフイメージ

自らのセルフイメージ、相手が作り上げるセルフイメージ

会話とは面白いものです、、こちらにはセルフイメージがあり、相手はこちらに対して独自のセルフイメージを持ちます。AさんはAさん独自のAさん像、、Bさんから見たAさん像、、、Aさんってこういう人だよね!!!とBさんから発言があり、、、これを聞いたAさんはいやいや、、、わたしってもっとこういう性格だから。とすれ違うのです。このすれ違いが多いと、、面倒、、、となります。なぜならば、、すれ違いコントが行われるからです。

では正解はあるのか?????

残念ながらここには正解がないんです、、なぜならばどちらもイメージだからです。イメージとは実態がなくその瞬間毎に変わるのです。ゆえに、、、イメージとイメージの会話には正解はありません。イメージを実態と勘違いするという現象が起こるだけです。つまり苦しくなるのです。会話の延長線上にあるのは何か???「苦しみ」です。

大いなる存在

大いなる存在であることを自覚して、、、そして相手も大いなる存在であることを自覚しての会話のみが、、疲れません。なぜか?????それが真実だからです。自身が大いなる存在である、そして相手も大いなる存在である、、、目に映るのはそこから現れた現象に過ぎない。この理解があれば、、相手も疲れない、こちらも疲れない、、となります。それだけが本当だからです。相手は勿論相手が作りあげたイメージに向かって話しかけてくるでしょう、、それを理解して会話します。

どのようなイメージであっても

相手がこちらに対して、、良いイメージを持っていようが悪いイメージを持っていようが、、全部間違っています。それだけは分かっているんです、、だから気にしない。本当は大いなる存在が大いなる存在と会話をしています、ただそれだけ。会話の内容がなんであれそれだけは変わらないのです。

反応しない

全現象に

人の行動は全て現象です、、、現象ですからそれは全部根元から起こります、、、全部そこから起こる以上これえをコントロールできる誰かは存在しないのです。にも関わらず人は目の前の人から起こる言動をその人が意図管理していると勘違いします、感違いするからそこに指摘批判判断が起こります。ですが実際にはそれはただ起こるんこです、根元から。そこを理解できないと、、現象に取り込まれ悟りから遠ざかるのです。

NO

だからといって、、全部を受け入れて被害者になれ、、、という意味でありません。目の前の犬に噛まれそうになっても噛まれろ、、、ではありません。噛まれないように逃げてください、、、しかしながらそこから、、批判批評判断に入らないのです。裏事情を詮索し判断を下す、、をしないでください。ただNOと突っぱねてください、、それだけです。

反応しない

反応しないというのは実は意識的であるということです。多くの場合無意識に反応します、、無意識ゆえにそれは自我の反応です。自我の反応に自我の反応で応えるのです。これでは「誰も」救われない。反応しないとは超意識的であるということです。自我を観察する意織であるということです。自我の反応に対し大いなる存在として対応するのです、そこから悟りに入るのです。

インナーボディー

体のエネルギーを感じる

体に目を向けてみてください、、体の中のかすかに揺れ動くエネルギーを感じれるようになります。騙されたと思って頻繁に体に意識を向けます。体の中に微かに動くエネルギーがあるのを探します。何度もこれを行います、時間が空いたら直ぐに感じるトレーニングをします。目を閉じて体の中で何かが動くことを気づきます。これがエックハルトが言うインナーボディーです。このインナーボディーは何か?????気です。空から発せられる気がインナーボディーとして充満しているのです。

インナーボディーを感じれると

インナーボディーを感じることができるようになりますと物質としての体に意識が行かなくなります。物質ではなく物質ではない気としての体を一日中感じることができるのです。するとこの体は幻想であったことを実感できます。そうですこの体は濃密な密度ある体ではなく、、幻想です。それを実感できるのです。物質として体と付き合うのではなく、、気、インナーボディーとしての体と付き合えるようになります。

空に気づく

インナーボディー、気は空から起こります、、気を感じることができるということは、、必然的に空に気づくことになります。気は空から生み出されるわけですから、、気の感知は、、空の感知です。言葉でこれをどのように説明しても意味はなく、、先ずは気を感じる、インナーボディーを感じます。気、インナーボディーが存在していると思ってこれを1日に何度も行います。

深刻な無意識状態

エックハルト

エックハルトは、、、自我の活動に意識的でない状態を無意識状態と表現します。特に予期せぬ事態が起こった時などは深刻な無意識状態になり無意識自我が活発になるのです。人に喧嘩を売り、暴言を吐き、トラブルを起こしまくる状態です。もしくは中に籠り、お酒、タバコ、過食に走るなどの自傷行為に入ります。自我はある種現実逃避をして自己を守っているのです。自暴自棄とは逃避型の自己防衛とも言えます。ですがその場合自我は確実に生存ししかも自我の活動には無自覚なままです。結果「苦しい」というこの構造的生産物からは絶対に逃れることはできません。

自我の観察に入る

自我を放置しておけば、、、あらゆる活動をしてこの体を守ってはくれますが「苦しい」からは絶対に逃れられません。「苦しい」という犠牲の上に成り立つのが自我システムですからどこかで自我を観察する、意識するステージに入りたいものです。この体の中のは自我というセルフイメージが存在し、、そのセルフイメージがさも実在するかのように生き延びている、、この事実に向き合うのです。そしてそれはイメージですから傷つくのは不可能であり、何かを得ることも不可能、幸福になるのも不可能です。

でも私は傷つくし、たまに幸せにもなれる

でも私は傷つきますよ、、友人から悪口を言われれば傷つきますよ!!!!自我って実在しているじゃないですか??????違うんです実在していると信じているから傷つくことができるんです、「私が馬鹿にされた」とありありとイメージすることで、、、体が真実と受け止め、、傷つくことができているのです。馬鹿にされた和私は本当は絶対にいない!!!こう確信した状態で傷つくことはできますか????できません。

取引を手放せない

自我

自我は取引です、、私がこれをあなたに与えるからあなたはこれを私にしてね、、、あなたにはこれだけのメリットを与えるから私にはこんなメリットを頂戴。。。。取引なんです、、、これだけ愛情を注いだのだから裏切ったら許さない、、世の中のトラブルはこの取引が成立しなかった時に起こります。自我は損得で生き延びるシステムですから全くそれが問題ではありません。ただし「苦しい」が常にあるために取引を手放すことができないのです。

これをあげる

これをあげるから私には優しくしてね、、これもやってあげる、、だからちゃんとあとは頼んだよ、、、エンドレスに自我は取引を繰り返します。これでいいのです、サバイバル戦略としては完成です。ですが大問題が一つある、、それは「苦しい」「孤独」から逃げ出せない、この戦略では。なぜか??????取引を行うのは誰ですか?????「私」です。。。。。「自分」です。この自我戦略はありありと「私」をイメージ化し、それが体に反映されて「苦しい」が起こる最大のデメリットを抱えています。

自己超越

覚者はゆえに取引ではなく、、、全人類平和、全人類貢献に意識を向けたらいいですよ!!と言います、、、恩恵、取引、メリットを享受するのは「私」ではなく全人類に変えるのです。するとそこには「私」「自分」「俺」が登場しないんです、、例の「苦しみ」製造プログラムが消えるのです。「居心地の悪さ」製造システムの崩壊です。

そんな

そんなやり方では「私」は生きていけませんよ!!!!どうやって食べていくんですか?????全人類を豊かにしようとする活動で、、、見返りがない方が難しい、、全人類に豊かさを提供した人間が見返りを獲れない方が不可能です。だから「自分」のことなど考えなくていいのです。そしてストレスフリーの状態で活動を活発にすればOKです。

テレビドラマ

観れない

この見かけ上の私はテレビドラマ、映画をもう観れません。なぜか?????主人公、登場人物の思考が煩すぎるんです。起こる現実に対しての思考が、、煩いんです、、、とにかく起こった出来事を私ごとに捉えて、、、ひたすらに解釈を繰り返すという行為が、、アホくさくて見れないんです。真剣な顔で出来事と向き合う様が耐えられません、こちらが感情移入できないから。感情移入できないドラマほど苦しいものはありません。

パートナーの闘病編

愛するパートナーが倒れた!!!!ドラマのクライマックスシーン、、、、主人公は慌てて病院にかけつけ、、、見れない、、、きつい、、、その必死さが見てられない、、、、起こる現象、出来事自体が私から浮かび上がっているという真実に目覚めると、、、出来事自体に入り込めないんです。その出来事は断じて私から生まれはするが「私」に起きていないから。全ては私が作り出したルールが反映された現象に過ぎないのです。

全事件

惑星が地球にぶつかるのをなんとか阻止したヒーローは、、一瞬の幸福に浸ります。映画は涙でエンディングを迎える、、、、残念!!!その幸福は、、、成し遂げた「自分」が一瞬消えたから起こったのです。成し遂げないといけない仕事が終わり、、義務を果たすべき「自分」が消えたから、、起こったんです。今日朝目が覚めれば「私」がまた現れ出て、、、成し遂げるべき「何か」を探すんです。だからもう見れない、、幸福が幸福じゃないことを知ってしまうと。