無知
無知とは何か???無知とは真我に気づいていない状態です。無知とは真我を非実在とみなすことです。無知とは真我が今ありありと存在しているにも関わらずそれに気づかないことです。これが無知です。無知な状態の時、、真我の影を実在とする動きが起こります。影、幻想を実在とする影、幻想の動きが起こるのです。これは一時の勘違いです、、一時ゆえにこれは消えます。覚者とはこの一時の勘違いが消えた状態です。覚者が存在するという事実が、、幻想を実在とする動きもまた幻想である証拠です。
真我=非実在、幻想=実在
これが今ここで行われている動きです。あなたがこれをしたのではありません。あなたも幻想です。ですがこれが森羅万象の動きの中で起こります。唯一の実在、真我が非実在とみなされ、、真我の影が実在とみなす動きが起こった時、、、、分離感というやはり幻想が起こり、、これが苦しみの大元になるのです。この分離感さえなければ真我=愛と平和であり、、、ただそれだけがここに放射されるのです。「愛と平和」と苦しみは次元が違います。意識が、、この体という幻想にフォーカスし、、これを実在とみなす動きが起こった時、分離感という幻想が起こります。愛と平和は幻想の動きに一切関係なくただ「在る」のです。
ただ在るにも関わらず
真我は実在であり、ゆえに愛と平和も実在です。実在ですから消えることはないのです。愛と平和は一切消えることがありません。そしてその大きな土台の上に、、、幻想を実在とする動きが幻想として起こります。これが無知です。苦しみです。ですが苦しみも所詮は幻想ですから実在である「愛と平和」を損なうことなど到底できず、、よってただこの幻想である苦しみが消えるのを待つのです。どんな悲惨な感情が起ころうとも、壮絶な孤独感に苦しんでも、、全ては幻想ですから、、これが消えればそれで終わりです。
消えない「愛と平和」
愛と平和は手に入れるものではありません。勝ち取って得るものではないのです。もしも愛と平和を頑張って手に入れるとしたら、、、それは苦しみ同様に、、、幻想になってしまいます。愛と平和は実在ですから、、、最初からあって永遠です。時間によって制限されるものではありません。それらを超えたものです。幻想の苦しみによって意識がここにフォーカスされた時、、、苦しみが一時的に継続し、、本来の「愛と平和」の上に雲を作ります。