自由への欲望

起こる???起こらない???

意識の中で「自由」の記憶が残っている時、、、、この幻想の中で自由を徹底的に求めます。尾崎豊が「自由」のために歌を歌い続けたのは、、、、本体は自由そのものであるという鮮明な記憶がこの意識の中に残っていたからです。ですから、、学校で校則を強要された時「そこへの反発」が生まれます。一方そのようなルールで雁字搦めにされようとも、、ストレスを抱えない少年もいます。自由という感覚を忘れてしまっていればそこへの渇望も少なくなるのです。

ルールすらも

究極を言ってしまえば、、ルールすらも自由の表現です。そのルールの作り手は自由であり、、ルール自体が自由でできているのです。そしてそれに対するこちらの反応も自由が起こすのです。だから自由以外が存在しないのです。全動きが完全な自由の中で起こるのです。人間とはこの自由が拘束されたという勘違いの動きが起こり、、それすらも実は自由の動きに過ぎなかったという気づきに至るための「この意識」の活動だったのです。