「私は在る」
「私は在る」という感覚が最初に今存在します。「私は居ない」と言い切れる人は存在しません。「私は在る」という感覚、、、、この感覚が最初にあって、、、その後に「個人としての私」という思考がこれにぶら下がっているのです。全ての概念は「私は在る」「生きている」というこの感覚に依存した思考です。最初にこの感覚が存在しなければ全概念は崩壊します。つまり全概念、全思考、全記憶は、、この「私は在る」「生きている」という感覚なしには成立しないのです。
では、、、、、
では、、、、「私は在る」は何に依存しているのでしょうか????何にぶら下がっているのですか????何が存在しなかったら「私は在る」は存在しないのでしょうか????それが「私は在る」「生きている」という感覚に気づく「気づき」です。この気づきがなかったら、、、「私は在る」「生きている」という感覚は存在できません。つまり根源では「気づき」があってその「気づき」によって「私は在る」「生きている」が生み出され、、、その「私は在る」「生きている」によって全思考、全概念、全記憶が生み出されているのです。
熟睡中
熟睡中は「私は在る」「生きている」という感覚が消えます。よってそこから生み出される全思考、全概念、全記憶が消えています。「気づき」から「私は在る」「生きている」が生み出されていない状態です。「私は在る」「生きている」という感覚が「気づき」から生み出されていなくとも「気づき」は消えることはなく、、ただ「在る」のです。