あるわけがない
この世界は空間ではありません。空間は存在しないのです。ですから当然ながらこの体も存在しません。空間が全く存在しないのですから時間も存在しません。時間とは空間の移り変わりが起こることで発生するのですからその空間の移り変わりがないのだから時間も存在しないのです。今この感覚というデータのみが起こっています。感覚のデータが神によって認識移動しているだけなのです。データが変わり続けるから時間も存在すると感じ空間も存在すると感じこの体も存在すると感じます。ですが実際にはその感じるというデータが今起こったのです。
世界
多くの人々にとってはこの世界は物質で溢れる世界です。あらゆる名称の物質が溢れる世界です。ですが違います。真実ではその知覚のみがデータとして起こったのです。だからこの世界自体が存在しません。そしてそのデータの知覚が起こりそれに気づく気づきこそが我々の正体です。気づきという物質でもなくエネルギーでもなくなんでもないものが本質です。
何を求めるというのか
全感覚だけが気づきから起こりそれが気づかれました。その本質が我々です。全ての感覚は我々から起こります。それが分かった時何を求めるというのでしょうか???何かを求めるという思考も気づきから起こり気づきに消えていきます。そして実際には実在性のある「何か」は手に入ったことがないのです。空間が存在しないのですから。実際には実在しない「何か」を手に入れてもただその感覚だけが現れて消えていくのです。ただその画像が現れ知覚され消えていくのです。求めるというのは「個別の自分」が存在し寂しいから求めるのです。もうその個別の自分が存在しないことに気づいた時「求める」動き自体が消えます。
ここに在ることが奇跡
真実に目覚めますと今ここにそれが「在る」という感覚が起こることに驚きます。ソファーという感覚が起こり、テーブルという感覚が起こります。これが奇跡です。ですからそれ以外を求めるという発想が消えます。今ここで奇跡が起こっているにも関わらず何に退屈を感じるのでしょうか。私という感覚が根源から起こっているのが奇跡で、目の前に友人が居るという感覚が起こっているのが奇跡です。