ない
美味しいラーメンを食べます。「美味い!!」この感覚はこの感覚に気づく存在が存在しなければ成り立ちません。美味しいという感覚が起こってもこの感覚が気づかれなかったら絶対にこの感覚は存在できません。私とはこの気づきです。気づきが「美味い!!」に気づくために何か努力は必要でしょうか???全く必要ありません。「不味い!!!」この感覚に気づくにも当然努力は必要ありません。我々は気づくために一切の努力を必要としないのです。だから我々は気づきなのです。そして経験は気づきの中に立ち現れる現象に過ぎないのです。
雲の認識に努力は要らない
空は雲を認識するのに一切の努力を必要としません。雲は雲として立ち現れて勝手に消えます。空はただ空として雲に気づくのです。雲がどれほど荒れていようとも空は何一つ形状を変えることなくここにあります。空が存在するために雲は何も関係ありません。雲は空が無かったら存在を認識されません。雲は雲として存在するために空に依存しています。我々はこの空です。雲を一切必要としない空です。空とは気づきのことです。雲とは五感及び思考、感情という経験のことです。どんな経験がここで起ころうとも空は微塵もダメージを受けません。そのことに気づいてください。ダメージを受けたという思考が起こりその思考が経験されてきたに過ぎないのです。
不幸なとき
不幸な時、我々は不幸という雲を認識したくないから新しい雲を探して求めて味わって不幸を誤魔化します。新しい雲で誤魔化すのです。ですがそれは全くの誤魔化し、ハッタリ、皮算用です。我々は空であって雲ではないのです。空は最初から至福であって雲が至福に誘うのではありません。我々は雲じゃなくて空だと気づいた瞬間に不幸という雲にも気にならなくなります。雲は雲でしかなく空には影響を与えれないのですから。与えていないと信じるのではなく構造上何も影響できないのです。