悟りはストーリーからしか起こり得ない
悟りという言葉をもしも動物が理解できたとしても意味が全く分からないでしょう。動物は「悟り」という言葉の意味は分かった、、だが悟りを必要とする意味が分からないのです。なぜか??????彼らには悟りを必要とするストーリーがないからです。「私の人生」という概念がない彼らには「苦しみ」がありません、よって悟りを必要とする意味が分からないのです。
つまり
悟りとは「人間業界」でしか必要とされない単語なんです。人間業界=私物語であり、、悟りは私物語の中でしか必要とされないのです。なぜならば悟り=苦しみからの解放だからです。苦しみとは、、まだ私物語の中に居る証拠であり、、、だからそこから悟りに入れるのです。苦しみは悟りを促す自然現象なのです。
大人
大人が若者よりも落ち着いているのは「苦しみ」が指し示す先に慣れているのです。苦しみは全員に完全完璧に訪れます、、、ですから苦しみは「向き合う」以外には解消しません、、大人とはこの「苦しみ」と付き合ってきた年月が長いがゆえに、、苦しみが指し示す先への気づきがあるのです。若者は「苦しみ」を代替品で隠すという術をまだ保持していますから、、、「苦しみ」がそこにあることすらも、、気づかないフリをしています。大人は「苦しみ」に蓋をするという手段を諦め、、そこといかに付き合うかという段階に居るのです。釈迦は「苦しみ」を直視し「苦しみ」の奥にある、、、何かに気づきました。