人っ子ひとり
誰もいません、この世界には本当に誰も存在しないのです。どこまでもどこまでも居るように見える、感じる、触れれる、味わえる、香れる、、、、のですがそれはあくまでの五感のみであって、、その人の存在証明にはなりません。裁判所で提出できるのは「五感」以上です。いやいや「口」から声が出てその人の言葉が聞こえますよ!!!!!それを確認したのは「見」「聞」ですよね!!!!!つまり二感です。その人が居るだろう二感があったということです。逆に言えばその二感でそう「予想」しているのです。
五感
声も聞こえるし、香水の香りもするし、触れれるし、、見えますよ!!!!!!その四感でその人が居ることを「予想」していますよね!!!!!やっぱり五感を使ってそう信じているのです。そしてその五感+思考+感情でそのまま「私」が居ることを予想しているのです。声が聞こえて、触れて、嗅げて、味わえて、思考できて、感情できるから、、、私が居ると信じているんです。
五感+思考+感情
誰もいないのならば一体ここには誰が居るんですか??????五感とそこから湧く思考と感情だけです。五感があるから、、、そこからその五感を利用した思考、感情が湧くだけです。五感があってその五感を利用した思考感情が湧くから「私」が居ると思考しているのです。
それが分かって??????
そのことが分かっていったい何になるんでしょうか??????私が居ることを信じた思考が湧かなくなります。私が居ない前提の思考が湧くようになります。私などすっかり忘れた思考が湧くようになります。究極の事実を前提にした「思考」だけが湧くようになります。五感はそのままに続きます、そこから五感を利用した「私」が現れません。だからあの体の中にも「誰か」を予想しません。