どこにも行けない

視界としての自覚

「視界」であるという自覚のもとに1日を過ごしてみてください。。まさかのどこにも行っていないことが分かります。「視界」は激しく変わっていきますが、、、「視界」自体が「視界」でなくなることはなく、、、「視界」は「視界」そのものです。どこにも行けないのです。半端なく早く歩いても、、「視界」は「視界」のままなのです。「視界」の中で息が切れようが脈が激しく動こうが、、、「視界」はびくともしません。

音がする

音がします、、、遠くの方で音がします、、、ですがそれも視界の中です。後ろから音が聞こえようとも、、「視界」があって音がします。友人が話しかけてきます、、ですがそれも100%視界の中です。携帯の着信が鳴ります、、、、ですがそれも視界の中です。熟睡中に「携帯が鳴っていても」そのことに気付けるのは「視界」が現れてからです。

この体が私だ

「この体こそが私だ」この思考が現れることができるのは「視界」の中です。「この体は私ではない」この思考が現れ出るのも「視界」の中のみです。『「視界」が本当の私だとしたら、、この体はただの登場人物だよな』という思考も視界の中にしか現れでません。『この体のことみんな「〇〇君」って呼んでくれるから俺って「〇〇君」なんだな』という思考も視覚の中に現れでます。

どうする?????

どうするも何もこの「視界」が本当の私だという気づきが起こってしまたら、、もう「この体は私だ」には戻れません。なぜならばこの「視界」は常に常にここにあって無視できないからです。「この体が私だ」と思い込んでみても、、結局視界からは逃げれないのです。だから常に常に視界に引き戻されるんです。

何もしなくていいや

だから何にもしなくていいんです、、、、「視界」は最初から「視界」であって「視界」になれないなんてありません。なりたい「視界」にいつかなりたいんです、、、?????何それ?????「視界」はなりたいも糞も「変化」しかしません、、「何か」であり続けることが不可能です。一日中変化しっぱなしですから。