私物語が終わるわけではない

私物語を俯瞰する視点が現れる

日雇いアルバイトに行きます、、一生懸命バイトします、、、バイト終了後。。。。「今日の私へのバイト代をください!!!!」この言葉が出ないようでは危なくて働くこともできません。財布を電車で取られそうになります、私の財布を取らないでください!!!!この言葉が出ないようでは危険です。そうです、、、我々はこの私物語を終わらせることは絶対に絶対にできません。バイト代をしっかりと貰うのは「明日の家賃」を払うためです。

私物語をやりながら

悟りとは自分という存在が消え去ってしまい、、「自分をやれない」なんていう精神異常者になることでは断じてありません。「私物語も私も完全に思考が作り出した概念である」という新しい認識を持って「私物語、私」をやるのです。私が誰かから攻撃されても「概念である私」が攻撃されたという認識が起こります。相手は「概念である私」を攻撃したという新しい認識は余計な感情を生み出さないのです。

まるで映画

これは映画です、、映画であることを自覚して役を勤めるのです。「思考が作り出した映画である」という絶対的な認識の中で経験だけが起こり続けます。この映画がどのように作られているかを完全理解した「状態」の中で映画だけが続きます。後悔が全く湧かない映画、期待が全く湧かない映画、、、、ただ「真の気楽、安堵、平和」な中で映画が進みます。

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