無我

実は

芸術家は無我に入って作品を作り上げます。完全な無我、、その状態で作った作品は「周囲」から評価をされる。。周囲が「無我」で作った作品に評価を下すことができるのは「周囲」はただの自動反応だからです。つまり評価を下していない。ただ反応を起こしているだけです。自身は無我に入って作品作りをし良い作品を作り上げます。ですがここで本当は無我に入ることを決める自我は存在しません。つまり勝手に入り勝手に評価を受け「私が無我に入って作った作品なんです」という思考が勝手に起こったのです。

どこにも自我が居ませんよ

昨日は本当に集中して無我に入れ「良い作品」を作れました。昨日は良いコンディションでした。。。いやいや本当は無我に入ることができる自我は存在しません。行動をコントロールできる自分は居ないからです。つまり勝手にそこに入ったのです。評価を受けて「日々無我に入って作品を作りたいと思います」という返答が起こりますが、、それも勝手に起こるのです。

集中できない人

何かに集中できない人は「一人一人の顔色」を伺っています。1作品ごとに、、課題者に対してただ反応を起こしているのです。テクニックで個別対応を起こすのです。個別対応をする時、、相手には確実に自我があってそれを満足させようとする動きが起こります。「自由意思」ありきの動きです。

無我しかない

本当は本当は無我しかありません。この世界は無我であり、、、その中に「自由意志がある自分が居る」という思考がただひたすらに起こるのです。その認識が起こった時だけ自分が現れます、自由意思が現れます。ですが自我も自由意志もないのでこれは思考の中のみで現れるのです。実際にはないが「あるという思い込み」のみが起こるのです。

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