見抜かれる思考

それでも

真実ではここでは何も起きてはおらず、、ただあるがままの表現だけがあります。そしてにも関わらず思考は起こり、、「この私が居る」というストーリーが起こりはしますが、、、一度でも真実に目覚めますと、、その思考の中身が真実ではないことを見抜きます。私は何かをされた、私は被害者である、私は加害者であるというあらゆる思考の内容は嘘です。真実ではただあるがままの起こりがあるだけです。

見抜き続ける

真実に目覚める強みとは、、、思考が起こす嘘の内容に惑わされなくなるという点です。思考が表す表現はほとんどが嘘です。。自分は被害者だ、自分は将来大変な目に遭う。自分は老後このままいくと大変だ、、、全嘘なんです。この体の中に自分が居るというこの発想、概念、アイデアは、、、嘘です、、その嘘をベースにした全ストーリーは嘘なんです。だから違和感が抜けないのです。これが落ちます、真実の理解がこれを落とします。

一方

ニュースを見れば、、あらゆる個人の責任者はこれからも問われ続けます。。真実とは真反対の認識に基づく人間の右往左往が起こり続けはします。。。ですがその事実こそが、、真実の重要性を客観的に提示してくれるのです。真実とは真反対の認識に生きれば、、他人は常に愚かな行為を起こし、それを見て自身は怯えて生きていくのです。責任を取らされる人間と責任に覚える人間の2種類しか存在しません。一方真実に目覚めれば、、責任とは無縁です、、全部が全部勝手に起こる現象に過ぎないことに気づくからです。

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