空即是色
今も完全にこの見える世界は完全完璧に空の現れであり色であり、、、よって全部が意織されています。「私」が欠落した瞬間に全体としての意織が現れるのではなく、、、現象すなわち「意織」ですから全体としての意識は100%あります。構造的に付加可能なのです、、全体としての意織が欠落するのは。ただその中で同時に「私」というイメージも意識によって意織されます。この矛盾、ギャップが苦しみをもたらすのです。
意識とは空即是色で起こる
意識は空即是色でしか起きえないので、、全景色は意織化されます。そういう意味では生まれてこの方全体であるという意織が亡くなったことなどないのです。ところが同時に、、、「私」「私の物語」に意織され、、イメージ化され映画が始まります。これが苦しみの元です。だから友人との旅行から戻ると「あー疲れた」が起こるのです。全体であり個人でありというギャップ疲れです。
籠る
多くの方が部屋に篭って一日中家にいるのが好きなんです、、、と言います。これは本音でしょう、、なぜならば外に出れば全体でありながら個人をやるという二重生活に突入するからです。このギャップが襲ってきます。これが苦しい、これが緊張感、これが違和感です。ここに気づくのです、、個人をやるとなぜ苦しくなるかに気づきます。すると個人をやらなくていい、、個人という存在は嘘なんだという決定的な気づきが起こるのです。
そうは言っても
そうは言っても会話ってどうするんですか??????圧倒的に全体として個人を演じるんです、、個人とは演技でありそこに自覚的になるのです。多くの方は個人を演技とはみなさず真実であると信じています。個人とは演技なんです、個人とは役です、、個人とは場当たり的な役回りです。この個人がどう思われようとそれは役ですからどうでもいい、、、この心境になれますと、、個人を実在とする「信念」が崩れます。すると全体と個人のギャップが崩れ、、どこに居ても苦しくない、、が起こります。