何かに価値があると信じると

この世界の何かに

この世界の何かに価値があると信じた時点で、、それを失う恐怖心、それを獲れないストレスの両方の緊張感を味わうようになります。学歴が重要だと信じればそれを得るための緊張感、それを獲れない場合の緊張感を感じます。お金が大重要だと信じればそれを得るための緊張感、失うことへの恐怖心という緊張を味わうことになるのです。つまりこの現象界の現れては消えていく何かに価値を見出すこと自体が「苦しみ」の元なのです。

何も価値はない

この世界の中で至福をくれる何かは一切ありません、至福を約束してくれる何かは全くないのです。そこに気づくことが何よりも至福への入り口です。何も至福を約束してくれないのならば一体何に向かって生きればいいのか????何にも向かわなくていいのです。そして今の緊張感、喪失感、絶望感を作り出した大元が「思考」「私が居る」という概念であることに気づくのです。

これは絶望ではない

何もかもが「私」を至福には向かわせない、、この事実に早く気づくべきです。お金、友情、パートナー、家族、現れては消えていく何かに至福を約束してくれるものはないのです、そして「私」も現れては消える概念です。「私」すらも現れては消える概念であるならばもう「私」を幸せにしようと頑張る必要もなくなります。この諦めが起きた時に、、ベクトルが横から縦に変わります。全現象がこの私で、、完全完璧な現象が常にある、、そのことが至福だったのだと分かる日がきます。横に向かってもう「私」が頑張らなくていい、、という解放が真の安らぎを連れてきます。

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