必要とされることは自我にとって重要

なぜ必要とされたいのか???

自我は感覚です、私が居るという思考が感覚化したものです。もしも私が居ると言う言葉が世界に存在しなければ自我という感覚は芽生えていないでしょう。つまり言葉が作り出した感覚、それが自我、エゴです。この感覚は感覚以上のものではない、つまり実在はしないのです。実在しないにも関わらず実在していると信じて生きているので「誰かに必要とされる」と大変有難いのです。必要とされているなーという実感は自我という感覚を強固にしてくれるので安心します。

親として上司として社長として

必要とされたい、、誰かに必要とされない「私」は存在意義がない、、、となります。だからとにかく私を必要としてくれる誰かを探すのです。誰かに必要とされたい人は親になれば、、徹底的に自分の存在を必要とするような教育をします。あなたにはこんなにこれから問題が山積みだから「私」が絶対についているよ、、です。このやり方は上司、社長、友人、親、、あらゆる役割で行われるのです。

必要とされなくなるように

本当の教師とは必要とされなくなるように導く人のことです。ところが自我、エゴは、、必要とされなくなってしまうと本当は実在していないことが明白になってしまい、、そのためそれを強く嫌がるのです。本当は存在しない、、これほどの真実はエゴには耐えられないのです。なぜならばそれは自我、エゴの殺傷事件であり殺人です。

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