私というでっち上げ

所詮は脳のイメージですから

私は脳が作り出したイメージです、、、この体の一部である脳が、、この体の中に私が居るというイメージを作り上げ、、、二重の意味でこの体を守らせようとするアイデアです。。時間というアイデアも作りだし、空間というアイデアも作り出し、、この私というアイデアが、、、この時間空間を歩むというアイデアをでっち上げたのです。。。壮大な壮大な茶番をぶち上げたのです。

悟りとは茶番の終わり

悟りとはこの茶番の終わりです、、悟りとはこれが茶番と見抜くことです、、、悟りとはこれを茶番と見抜き、私というアイデアを見抜き、この時空間も概念であることを完全に見抜くことです。。。全経験を感じているのは真我であって、、私というアイデアではなかった、、、私というアイデアがなぜ経験を感じることなどできるのか、、私というアイデアがなぜ経験を積むことなどできるのか???経験という言葉すらも概念です、、本当は経験という概念すらもない、、、

私物語の終わり

私というイメージが、、この時空間というイメージの中を歩むというイメージが起こり続けた、、脳が作り出した壮大な茶番劇、、本質は再び本質に戻り、、本質として、、感じ続ける、、、私というイメージを通じた経験ではなく、、、本質が本質そのものをただ気づくというそれだけ、、、言葉の全ては概念で、、、その概念が抜け落ちた世界、、、ただこれだけ、、、、