責めるべき相手は居ない

全部が全部真我から起こっている

この世界の現象ではどのようなラベルが貼り付けられた人であっても、、、全部の言動は勝手に起きます、、例えば総理大臣というラベルが貼られた人でも、、、関係なく、、犯罪を起こすという現象が起きる可能性があります、、つまりこれはもぐら叩きと同じで、、どの穴から何が起きるか全くわからないのです、。どのラベルにもそれをコントロールできる力がないのです。

聖人君子

成人君子と呼ばれるようなラベルが貼られた人でも、、、、悪行が突然その人を通じて起きる可能性がある、、、ここは全くもって誰にもコントロールができない、、、成人君子にはそこをコントロールする力がないのです、、、ですから彼を叩くのも筋違い、、、になります。この世界においてこの体から起こる言動をコントロールできる人はいないのです。。

究極の脱力

この感覚を一生追い求めていました、、、自分に全責任がない、、自分には自由意志もない、、そして自分すらラベルに過ぎない、、、この脱力感、無責任感、、、、これを最初から求めていたのです、、、全部が全部大人であるあなたに責任がある、、、これを学習し、、重く重く考えてきた、、、だから失敗したくない、失敗できない、、が湧き続ける、、、、ここからの解放、、、無責任感

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