ああしよう、こうしよう

自我のおしゃべり

向こうはこうやって思ってるのでは、、本当はこれを伝えた方が良いかなー、、、でもそれを言ってしまったらこう誤解されるのでは、、、、自我はこうやって常に状況の中で最善の結果を出すかを探し出します、、、そこには次のアクションが成否を決めるのではという期待と不安が隠れています。。。これは苦しみのラットレースに中にいます、、、次の行動を決めるのは真我です、、自我ではありません、、、そしてこのえ私が居るというイメージの中にいるから苦しいのです、、この苦しみを少しでも解消したくて今状況に悩んでいるのです。

苦しいんでいる大誤解

何故おの状況で最善を尽くそうとするのか???それは今が苦しいからです、、ここをバッサリ切らないと意味がない、、全ての自我の行動、イメージの世界での改善は全く報われないのは、、、これがイメージの世界であるという気づきがないからです。。みんな真剣にこの世界をリアルだと信じ込んでいます。。。リアルの上に独立分離したイメージ「私」「私以外」を作り上げ、、、その中で私の幸福を追い求めています。この初期設定こそが苦しみを作り出すのです。。イメージの世界を作り出し、、その中で幸福を追い求めている、、、しかしイメージの世界に居ることこそが苦しみを作り出している、、という絶対的理解抜きにこれを解決する方法はありません。

イメージと見抜き俯瞰して生きる

言葉を暗記することで、、その言葉をイメージすることができ、、このイメージが、、この現象界に、、分離した風のモノを生み出します。言葉を覚えれば覚えるほどに、、、覚えた分だけのモノが溢れてきます、、視界を見渡せば、、、知っているモノばかりになっていきます、、、このモノはイメージが最初にありますからこれに対するイメージがどんなものかによってこの世界は全く意味を持ち始めるのです。。これが我々が全く異なる世界に居ると言われる所以です。

所詮はイメージ

どんな世界に生きていようと、、あくまでそれはイメージですから、、、そこを見抜きます、、、、高級時計は、、多くの方が価値があるというイメージから生み出された商品です。。。あくまでイメージなのです、、エルメスのバッグが何百万という価値がつくのは価値があるというイメージを多く方が共有したからです。あくまでこれはイメージですから、、、イメージを購入しているのです、、、この私というイメージは、、高級時計をはめるにふさわしいと、、、ここを見抜きます。。。周囲はみんなイメージの世界に閉じ込められ、、見かけ上の私もかつてはイメージの世界に振り回されていたと。。

本当はただ現象があるだけ

本当は私もイメージ、全部イメージです、、、そんなイメージの中で幸福を追い求めても無駄、、これを手に入れたら、、あれを手に入れたら、、全部イメージです、、幸福になるわけがない、、その理由は全部イメージだからです。そして周囲からリア充な「私」とイメージを持ってもらってもそのイメージが幸福を作るわけがないのです。イメージの世界に居るのが苦しいのですか。

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