この体という蜃気楼の中に自分が閉じ込められるという思い込み

その瞬間苦しいが湧く

この体は蜃気楼です、五感で完璧に感じることができる蜃気楼です。本来の蜃気楼は視覚の錯覚ですが、、この体は五感の錯覚です。五感を利用した錯覚がこの体です。この体の中に自分が居るというさらなる誤解が生まれますとその瞬間に苦しいが生まれます。なぜか??誤解しているのが全体だからです。全体がこの小さな体の中に自分が居るという思い込みが生まれたのですかその瞬間に苦しくなるのです。

朝起きて長澤まさみだったら嬉しいが湧く

ある女性が朝起きて鏡を見た時に、そこに長澤まさみの顔があったら嬉しいが湧くはずです。新しいドレスを着、、長澤まさみに見えたならば嬉しいが湧くはずです。髪型を変えてみたら、、え、これって長澤まさみ??と勘違いしたら嬉しいが湧くはずです。そうです。勘違いとは感情が湧くものなのです。なぜ人間は基本苦しいのか???それは全体がこの体の中に居るという勘違いを起こしているからです。この勘違いからくる苦しみを解消するために人は次から次へと目標や欲望を作りそれを達成しようとするのです。これが人生が苦であると言われる理由です。

この五感は勘違いを最強のものにする道具

殴られれば痛い、何かを食べれ味を感じる、太陽の光を眩しいと感じる、冷蔵庫を開けば冷気を感じる、この五感システムはこの体が蜃気楼ではなく実在していると実感するための最強ツールです。五感全開ですからどう考えてもこの体は実在している、、こう信じこめるわけです。そしてこの体が実在しこの体が自由に動くことからこの体の中に自分という確かな存在が居るという実感が湧くのです。ですが五感で感じたのだから実在するというのは視界で感じたから蜃気楼は実在すると言っているのと全く同じです。見えるから実在するのだ、、五感で感じるから実在するのだ、、は破綻しています。

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