知性では非二元は理解できない

言葉での理解を超えている

非二元は言葉によって二元の世界に豹変します。言葉こそが二元を支える土台です。その言葉で非二元を理解しようというのが人間の試みです。言葉で非二元を二元に表変させておいてその言葉で非二元を探すというこれはとんでもない矛盾行為を行なっています。それでも人間はなんとか非二元、真実を求めてそれを指し示す言葉を探すのです。

詩を読むように世界観に触れていく

私がお勧めする方法は詩を読むようにこの世界観に触れていくことです。ピカソの絵の素晴らしさを理解したければあらゆる「絵」に触れるしかありません。おそらくこれを言葉で理解するのは不可能でしょう。そうです、良い音楽も良い小説も、良い絵画も言葉で説明できるわけがない。非二元も同じです、これを言葉で理解するのは本来不可能でありゆえにこれは触れて触れて真実を掴むしかありません。

良い詩を作るのにマニュアルがない

良い詩を作るのにマニュアルがないように、、、非二元を掴むマニュアルなどあるはずがありません。ただ非二元は常に今ここにあり逃げることは絶対にありませんから少しずつでも触れていくしかないのです。ですが非二元に触れると言ってもこれは実態がない世界ですから焦れば確実に空振ります。ピカソの絵の素晴らしさを理解するマニュアルがないように非二元を掴むマニュアルがないこと、このことを理解すること、これが言葉の限界です。

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