無我の状態を知らない人間にそれを目指せという残酷さ

無我の状態は大惨事に起こる

大借金、倒産、闘病、、、人生においてあり得ないような惨事に見舞われた時にこそ無我という状態、なり振り構っていられない状態を垣間見ることができます。恐ろしく厳しい部活の先生、塾の先生、星一徹ばりのスパルタ指導、、、、とにかく無我という状態はポジティブに経験できるような甘いものではありあせん。なぜならば基本人間は思考に支配されていて思考が全てを牛耳っています。まさか自ら思考を手放すような真似するわけがないのです。

無我という状態を思考を凝らしてみても

思考を凝らしてみても無我は見つかりません、思考が無我を隠しているからです。普通に生きて普通に暮らしている人は無我という状態が何か全く見当もつかない、、なぜならば自我が死んだ状態が無我でありこんな状態を意図的に作るなど不可能だからです。ですから多くの人間は自我に支配され続けて生きていくのです。ただこれは特別不幸というわけではなくたまたま大惨事にあって無我を獲得した人が幸福というわけではありません。自我の自殺が起こるような状況を経験することが幸運であるはずがないのです。

何かに集中することで無我を知る

自我という状況に苦しみもう自我状態を終わりにしたい人は、、何かに集中することを意図的にやることをお勧めします。1日のスケジュールを集中できることでまとめていきます。思考が入らないような時間感覚で集中を延々と繰り返していきます。集中できることをいくつかに絞りそれを反復でこなしていきます。最後までやり切る、これをすると途端に集中力が途切れます、そうではなく集中できる作業をいく層にも重ねていくのです。結果はこの際に全く気にしないようにします、重要なことは集中できること、無心になれること、無我になれることです。

集中していたら時間を忘れてしまった、、、それが無我

自我は時間の中にしか存在できません、無我は時間の中に存在できません。自我は時間の中で活動します、無我は時間の外で活動します。自我の中にいる時時間が進むのが非常に遅く感じます。無我でいる時時間を忘却します。作業に集中すると自我は一度引っ込みますが作業が終わると自我は再び現れとやかく意見をしてきます、そうしたらそれを無視してまた作業を通じて無我に入ります。作業が終わるとまた自我が現れ何か意見を言ってきます、そうしたらまた無視をして作業に没頭します。また無我に入ります。

一度無我を知ると思考の戯事に興味が無くなる

無我の状態の歓喜、安堵、平和を一度でも経験しますと思考の戯事に興味がなくなります。というよりも無我にとって思考はノイズ、雑音にしか聞こえません。集中の邪魔でしかないのです、そこまで思考をノイズ扱いできれば後は簡単、集中と集中の間の思考のノイズを放置して直ぐにまた集中、無心、無我に作業を通じて入っていきます。思考などノイズでしかない、、それを思考ではなく体感で得れるようになると人生は急速に無我モードに入っていきます。