女性は受容から悟りに入り、男性は集中から悟りに入る

女性と男性では悟り方が異なっていい

女性は男性に比べて受容的です、子育てという弱い人間を育てる立場からか受容力が男性よりも高いです。言葉が喋れず、思考が未熟で、判断能力がない子供を受容する包容力が男性よりも高く作られています。子供のワガママ、子供の喜怒哀楽、子供の癇癪に対して女性は忍耐強くそれを受け入れます。女性が子供を産むと波動が変わるというのはこのためかもしれません。女性は自身から湧いてくる感情を見つめ観察しそこから悟りに入れる可能性があります。男性は女性に比べ攻撃本能が高いので自身から湧いてくる攻撃的な感情に振り回されてしまう可能性が高い、ですが女性は受け入れるという受容性が高い分、他人からの攻撃から湧いてくるネガティブな感情を観察しそこから悟りに入るということができます。子供の暴言、子供の泣き言、友人の悪口、友人のヒステリー、、、あらゆる感情の揺さぶりを観察することでそこから悟りに入っていきます。

男性は集中から悟りに入る

男性は本来狩に出る役割がありましたから、ジャングルに入っていき集中力を駆使して獲物を捕獲します。敵を攻撃するために集中力を極限まで高めていき獲物を確保します。この集中力とは同時に無我の境地でありそこから悟りに入ることができます。集中して集中して集中し尽くしていくことで自分という偽りの自我を完全に排除していきます、その状態は大いなる一つ、無我、無心、悟りです。獲物を捕獲するためにそのまま歓喜、平和、安堵になっていきます。男性の職人さんが多いのはこのためです。男性は何かに集中し尽くすことでそこから悟りに入れます。

悟という状態を知ることでどこからでも悟りに入る

女性は子育てを通じて受容から悟りに入り、男性は仕事などで集中し尽くすことでそこから悟りにはいります。そして一度この悟った状態を経験すると人はどこからでも悟りに入ることができます。悟りとは遠いどこかにあるのではなく常にここに悟りがあるわけでそれを邪魔しているのは常に自我です。思考によって構築されたこの自我こそが悟りを見えないようにしている張本人であり自我のシステムエラーが負の感情です。この負の感情を受容し観察することで悟りを開くこともできれば、その感情から何かに集中することで悟りを開くこともできます。

人間の自我が負の感情を生み出すことを理解すれば、、

人間の自我こそが負の感情を生み出していることが理解できれば人はどこからでも悟りを開くことができます。その負の感情をじっくりと観察することで無我に入ることもできれば、その負の感情から何かに没頭して集中し尽くして悟りを開くこともできます。どちらにしても人はこの負の感情から思考を使って逃れ続けることは困難でありいかにこの負の感情と向き合う癖をつけていくかが重要になります。思考は常に思考を使ってこの負の感情を解消しようと企てますがこの作戦は常にその場しのぎです。そうではなくこの負の感情こそが悟りに入る入り口であるという俯瞰した視点が重要です。

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