役者とは???
役者とは何ですか????役者とは、、、演じる人間の機能をフル活用して、、、、人格のみを「別人」に変えてしまうことです。上手い役者とは、、その人間の五感機能をそのままに、、人格のみを変えてしまうことです。これを演じると言います。では、、人間とは????人間とは何ですか????人間とは、、、、神が、、神の機能をそのままに、、、「体の中の存在」を演じることです。??????真我が真我の機能をそのままに「人間」の中に収まった「私」をやることです。
厳密に、、、
田村正和が、、田村正和の機能をそのままに「古畑任三郎」という別人格を演じるように、、、神が、、神の機能をそのままに、、、「私」を演じる、、、これが『HUMAN. BEING』です。 実際には、、神は不動ですから、、、「演じる」という動きをしません。神をフル活用するのは、、神ではなく、、「私」というプログラムの方です。プログラムが動きです。だから神は、、頑張って人間やってまっせ!!!!とはなりません。「私」という心の動き、プログラムが、、神を体と同一視し、、、「わ・た・し」という呼称を生み出すのです。全て心の動き、プログラムです。
動きの全て、、
人間活動の全ては、、神の動きではなく、、、心の動きです。現象の全ては心の動きです。だから、、、神は1ミリたりとも動きもせず、、ただ鑑賞者として、、この心の動きの全てを知覚します。現象の全てを知覚します。人間活動という心の動きも何もかも神という鑑賞者が、、知覚するのです。このことが分かってしまうと、、、知覚者「私」は、、、、構造上、、矛盾が生まれ、、、役名に成り下がるのです。古畑任三郎、、になり切って、、、「田村正和」に戻れなくなってしまった状態から、、、家に帰って、、田村正和に戻ります。そうだ、、、俺、、、古畑じゃないや、、、、です。
私は、、真の知覚者じゃない
私とは、、、この体の中で、、この世界を、、体を通じて知覚する「絶対的知覚者」と思っています。周囲を見れば全員がほぼそう思っています。ですが絶対的知覚者は、、、神です。だから私は絶対的知覚者ではなく、、、体の名前、人格に過ぎません。幸福は私のものではなく、、、神です。。。。だから、、、私は絶対に絶対に幸福にはなれないのです。こうして私はただの心の動きでしかないと気づかれ、、神が神の座に戻ります。田村正和が田村正和のベッドで我に返って寝るように、、神が神の座に戻るのです。