自由意志

人間関係のストレスさえ無くなれば

多くの人はそう思っている

人間関係さえストレスなければ人生は楽に決まっている、、多くの方はそう信じています。実際に会社員の方は会社さえ定年になれば何のストレスなく生活できると信じています。そして確かに退職後は一切の人間関係がなくなりますからそのストレスは完全に無くなるわけです。ですがその後の生活、人間関係がない生活は本当に充実した人生になるのでしょうか???答えはNOです、今度は生きていて虚しい、、が湧いてきます。

人間関係のストレスがない状態であれば

人間関係のストレスがない状態であればもうストレスはない、、そう断言できるほどに多くの方は人間関係にストレスを溜め込んでいます。ですがそのストレスを解消してしまっても次のストレスが必ず訪れます、これはもう必ずです。それだけは分かっているのです、、それはこの自分が自分であるという妄想、幻想を信じている限り続くのです。そしてこの現実が幻想、夢ではないと強く強く信じていれば必ず続きます。

夢の中では個人は至福に至れない

これは「夢」です、完全に夢です、、その夢の中で個人という主人公が誕生し、その活動が続きます。主人公である私はこの夢の中で自由意志を使って幸福を追いかけていると思い込んでいますが、、実際には自由意志は全くなく、、全部湧き上がる思考を自分のモノと思い込む思考に囚われているのです。例えば今から公園に行こう!!!は本当に自分が作っているのでしょうか??間違いなくただ湧いただけです、、これを自分の思考と捉えるというギャグを真剣にやっているのがこの人間ドラマなのです。

私だけ気付いても無駄では?

じゃあ私だけ、、私だけがそれに気付いて夢から覚めたとしても、、、それでもこの勘違いの現実は続くのですよね????そうです、続きます、、この夢の中ではみんなが大勘違いをして生きていますから。じゃあどうにもならないではないですか????それがどうにでもなるんです、なぜならば、、自分だけが勘違いが解ければ、、それで至福だからです。至福の状態での偽りの個人活動だけが続くのです。

気づく私、気づかれる私

色と空は一つ

気づく私とは空です、気づかれる私とは色です。この世界で言えば、、、全現象が色です、、、そして全現象に気づくのが空です。色と空は一つです、、どちらも「私」色即是空、空即是色、、、全現象は全てこの仕組みで起こっています。これだけ。体の中の私が、、現象に気づく????そのようにはこの世界はできていないんです。

この体がしっかりと音を聞いてますよ!!

聞いていません、、、体という現象が他の現象に気づくというのは不可能なんです、、色とは現象のこと、、蜃気楼のようなものです、、蜃気楼が他の蜃気楼に気づくなどあり得ないのです。ということで体が気づいてきたのは嘘で、、本当は空が色に気づいているのです、、、しかしこの表現も実は嘘で、、、、本当は色として現象化すると、、、気づくが起きるのです、、、空と色の間で、、、これは化学反応のようなものです。空には気づくという動きすらありません、なぜならば空とはそのままで完全完璧、進化も退化もしない、不動の存在だからです。

気づくは色の中で起こる

空の中で何かが起きることは絶対に絶対にありません、、空とは絶対、完全、完璧、不動です。ですから気づきはあくまでもこの現象界の中(色)で起こるのです、つまり気づきが起きるのも現象の一つです。その気づきという現象を、、、自我は取り込み、、私(自我)が気づいている、、、という大嘘を作り出したのです。これによって私が主導権を握って人生を切り開くという「私」ストーリーが始まったのです。全気づきはこの体の機能によって起こり、、それを踏まえて自由意志で人生を切り盛りするという話です。ですがそれは真実ではありません、嘘です。

勘違い波野郎の暴走

勘違い波野郎は常に苦しい

勘違い波野郎は常に苦しみます、勘違いしてますからその存在自体が無理があるのです、無理があるのはストレスになります。波が起き上がり波が海面を動いている時に他の波から様々な声かけを受けることでこの波は海とは異なり独立していてこの波の中には自分が居るという勘違いが起きたのです。これはどこまでいっても勘違いですから苦しいのです、なぜ苦しいのか???この波の動きは海の動きに左右されており、、波独自の自由意志など全く関係なく動くからです。にも関わらず波は独立していると勘違いしていますから自由意志で自由に動けると思い続けるということです。

俳優がロックスターを演じ続ける苦しさ

ある俳優がロックスターを演じます、、演じるにはパワーが必要です、なぜならば本当は違うからです。これは海も同じ、本当は海だから波を演じると疲れるのです。だから人間には睡眠が必要になるのです。眠りに落ちるのはなぜか???それは人間としての個人を生きるのに疲れるからです。本当は人間でもないし個人でもないのです。

それでも勘違いは続く

周囲の波の影響で新しく生まれた波は自我を芽生えさせていきます、つまり周囲の影響が自我育成の大きな要因なのです。ですからこの自我は嘘なのでは??と気づき始めても周囲は自我全開で活動していますからこの嘘を完全に見破るのは大変なのです。ですが逆手にとって自我の存在の傾向を研究していきます、どのように自我が働きその人を操っているかを見定めていくのです。

波が努力して海になるということはない

波が海になるために努力は必要か?

波が実は海だったという気づきを得るのに波としての努力は必要でしょうか???もしも努力が必要だとしたら波ではないという事実を理解することだけです。波が海になるために進化向上が必要だとしたらそれはなんでしょうか???もしもあるとすれば波ではないことを理解するための素地を作ることかもしれません。もしくは波を維持するための強固なエネルギーの壁を柔軟にすることぐらいでしょうか。

頑張って頑張って海になる???

波として精進しいつか海になりたいと思います、この表現は滑稽です、、そもそもが海そのもので勘違いで波活動をしているのですからその勘違いを明晰にすれば良いだけです。波活動が勘違いであることを証明するためには湧いてくる思考のこと、自由意志のこと、自我の仕組み、これらを理解していく必要があります。勘違いというのは真実を知ることで解決するのです。真実を知ればなぜ誤解が解けるのか???それは誤解を解くのが真実そのものだからです。

自分(波)は真実なんて勘弁してほしい

自分(波)は真実なんて勘弁してほしいのです、なぜならば自分(波)が消えてなくなってしまうことを知っているからです。自分(波)を消すために活動するなどこれはもう自殺行為ですから積極的にやるわけがないのです。つまり自分(波)にとっては暴挙、テロ行為、自傷行為のようなものです。ですが散々波活動を通じてそれでは救われないことに気付いていれば海であるという実感が蘇ってきているのでそれらの活動が阻止されない可能性があるのです。

波が実は海だったという気づきは経験なのか?

最後の気づきは経験ではない

波としての人間活動が続きあらゆる経験を積んでいきます、最初は経済的欲求を求めていく、次に精神的欲求を求めていく、、、それでも全く満たされない。なぜならば自分を波だと思っているから、そしてこの波の中に自分という存在が居ると勘違いをしているから。この勘違いが苦しみを生み出しているのですから波としての波活動は全く報われないわけです。ですがその本質が分かり本当は自分は波ではないんではないか???そしてこの波の中に居ることになっている自分はフェイクなんではないか???という疑問が起き始めます、なぜ起きるのか??それは本質は海だからです、当然なのです。そうだ海だ、、は波の状態での気づきです、波が海そのものになるときにそれを経験する自我がもういない、、自我こそが波を維持してきたわけですから。この経験、波から海へのシフトは経験とはいえません。

主語が変わってしまう

波だと思っていたら実は海だった、、波を取り巻く環境の全てが自分だった、、、これは経験とは呼べないような経験でしょう。この経験とは呼べない経験が波の最終目標です、波の最終地点です。波は自由意志で動き回っていたと思っていたら実はその自由意志と呼ばれるような思考は海としてのものだった、だから時に全く上手くいかず時には上手くいくというシステム。思考は海からガンガン起こり、この波が自分だという思考もやはり起きる。そして同時に常に閉塞感、違和感、孤独感が起き上がります、海から。

孤独感が起きるのがおかしいのだ

簡単にお伝えすれば波として完全分離しているならば孤独感が起きるっておかしいのです。完全分離したらその状態がパーフェクトなのだから「足りない」という感情、「寂しい」という感情が起きるわけはないのです。つまり孤独感こそがこの波が自分という思い込みが真実ではないことを教えてくれているのです。私は波として完全独立しているという思い込みこそが孤独感を生み出す最大原因なのです。

不快感が生まれることがおかしいのだ

もっとこういう生活がしたい、できればお金が欲しい、できれば高級車が欲しい、できれば別荘が欲しい、できれば有名人になりたい、できればインフルエンサーになりたい、できれば人気者になりたい、、、全部全部波だからこその願いです。波が波として完全独立したらこの世界は完璧の鏡ですから欲求不満なんど起きえないのです。波という状態、そして波が独立しているという思考が真実は異なっているからブザーが鳴り続けているのです。それが不快感です。

エックハルトトールの功績

スピの部分を一切排した

エックハルトトールは悟りブーム、非二元のブームの火付け役です。彼は専門用語を一切排してエゴの特徴だけを説明していきます。自我、エゴの特性を説いていくだけでなぜ人は悟りに至るのか???それは我々がいかにエゴ、自我の動きに無頓着で無警戒で無意織かということです。つまりその存在を認識さえしていないぐらいに当たり前になってしまっているのです。

そうか、エゴってあるよね???

人間の苦しみは間違いなくこのエゴが大きく大きく関わっています。例えば恥をかいてしまい死にたくなるぐらいに悩む、、、としましょう。。。恥をかく、プライドを傷つけられた、、当たり前ぐらいの感情ですが、、ここに大きくエゴが関わっているのです。もしもエゴが肥え太っていないならば、、死にたくなるようなことにはならないでしょう。つまりエゴの大きさによって全く気にならない、と死にたくなる、、ぐらいの差がでるのです。 

人生の苦しみって結局エゴ次第

これだけ文明が進化したにも関わらず人類はストレスを手放すことができたのでしょうか???答えはNOです。ストレスは増大傾向にあるのです。つまり物質的豊かさは人類を救ってはいないのです。では精神的豊かさは今後人類をストレスから解放するのか???しません。YOUTUBEが発達し今子供は朝から晩までYOUTUBEを観て過ごすことができます、ストレスないですよね????そうじゃないんです、飽きるんです、YOUTUBEによってエゴが刺激されて新しい衝動が起きます。

豊かさを追いかける足算ではなく本質を理解する時代へ

物質的豊かさを追いかける時代が終わり精神的豊かさを追いかける時代に、、それでも幸福にはなれない人類は次に構造を理解する時代に入ります。構造とは実は自分など存在せず、自由意志など存在せず、見えるこの世界ただ一つしかないことを知る時代です。真実に近づく時代に入ったのです。

宇宙って既に完璧なんです

宇宙が不完璧ならば

宇宙の完成、、そんなのありますか???宇宙の理想の姿ってあるんですか???あるわけがない、、では地球の理想の姿ってあるんですか???あるわけがない、、、ではこの人間の理想の姿ってあるんですか???あるわけがな、、です。宇宙が既に完璧ならば全部が完璧なはずです、、、人間だけが完璧を求めて努力を重ねている、、、いやいやおかしい。。我々も間違いなく完璧なんです。

自由意志があると思うから完璧を求める

自由意志があって自らをコントロールできると思っているから、、、全然完璧じゃないと勘違いするのです。もっとコントロールできる人間にならなくては、、です。違います、全然違います、、、コントロールなどしたことがないしこれからもできないんです、全く。そして自由意志などないんです、、全部自動発信、自動出現です、、、言動の全てが。

ということは既に完璧

ということは既に完全完璧なんです、、、これ以上はあるわけがないのです、、、だってこの言動の全てが完璧の表現だから、、、、完璧の表現に未完成があったら表現は完璧じゃなくなってしまう。この宇宙の表現者は完璧なんです、つまり完璧の表現には誤りは一切ないのです。全部が完璧完成です。その表現に対し批判が起きてもその表現も完璧なんです。

成功はない、なぜならば幸福にならないから

この世界には成功は存在しない

成功って幸福とセットでないと意味ないですよね、なんのために成功するのだとしたらそれは幸福になるために決まってます。だからこそ成功→幸福が成り立つわけです。ですが人間はこの中に自分が居ると認識している限り幸福にはなれませんからつまり成功もないのです。一億円の年収、タワーマンション、社会的評価、この先に人としての幸福があるならばそれは成功ですがそれはないのです。

では我々は何を目指して生きればいいのか???

それは悟りです、解放です、目覚めです、、、目指すと言う表現は危険ではありますがそこに最終ゴールがあることは理解するのが大切です。そこに向かって毎日毎日頑張るというのはこれは今までの目標達成と同じになってしまいますから気づきが起きるのを待つのです。自由意志は本当はありませんからそこにベクトルが向き続けるかは分かりません。ですがそこにゴールがあることは理解しておくべきです。すると苦しいが起きた時にそのことを毎回思い出すことになります。

ゴールがハッキリすると、、、

ゴールがハッキリしますと苦しいが起きれば原因が分かります、全ての苦しいは実は自分が居るという思い込みから来る苦しみの変化した姿でしかないのです。ですから何か嫌なことがあっても全部実はそれが原因です。友人からキツイ言葉をもらった、、だから苦しい、、ではないのです。日々苦しいが湧いていてその状態に厳しいことばを貰ったから苦しいのです。順番が違うのです。

自分が存在する苦しみから解放されると

これから解放されますと、、、友人からの嫌味も罵詈雑言も何もかも響かなくなるのです。なぜならばデフォルトが苦しくないから。デフォルトが苦しくないのですから何を言われても一過性の感情しか湧き得ないのです。我々はデフォルトで苦しいが湧き続けそこに苦しいが足し算されることで対象を憎んでいます。ですがフラットに苦しくなければ一時的な感情は波のように消えていきます。

素晴らしい人生?

人生がなかった!?

私の人生は良い人生だった、、誰でもそう感じて寿命を迎えたいものです、ですが実際には人生ってないんです。人生が存在するためには人生を歩む自我が必要になるんですがそれは実際にはありません、空想、妄想、幻想としては100%存在します。思考としては100パーセント存在するのが自我です。ですが真実においてはないのです、そんなエネルギーは存在しないんです、なぜならば世界はたった一つのエネルギーしかないからです。

コーヒーカップも、時計も、自我も存在しない

コーヒカップという独立分離した存在は本当はないことを皆知ってますよね、、だって元々は陶器であり陶器の原料は土です、そして土の原料は火山灰だったりします。ですから無いんです、本当はそんなもの。時計も金属の集合体、金属は元々岩の中の材料でしかない、、だから時計なんてものは存在しません。つまりこの世界に独立した何かなどないんです。自我とはこの体の中にあるとされる想像物です、ないんです本当は。

だから人生はない

コーヒカップの人生、、、これはディズニー映画の話です。時計の人生、、これもアニメーションの話です。この体の人生、これもアニメーションの話なのです。コーヒカップの中に間違いなく思考を操る存在が居るはんずだ、、、となってもコーヒーカップ自体が本当は土の塊でしかないのでそれはファンタジーです。人間の体という本来は全く独立していない存在の中に思考が湧き出しこの中に自由意志が居るはずだというファンタジーを作り出したのです。

人生がないとして

人生がないなんてなんて空いんだ、、だとしたら何のために生きるのか????違うんです、、人生がないことが分かってしまったらこのような質問は出るはずがないのです。究極の至福からこのような質問は出てこないのです。空しさを作り出している自我が、、この質問を投げることで生存を図っているのです。我々は何も考えず真実に触れていけばいいのです、するとどこかで真実が思考のファンタジーを再吸収します。

なんであの人はあんな人生を歩むのか??

実は勝手に起こっている

毎日疲れ果てはスーツを着て顔が死んでいる人が居ます、その人に私は毎日通勤途中に会うとしましょう。その時に感じること、なんであの人はこんな人生を受け入れているんだろうか???です。なぜあの人の自由意志はそれを受け入れているのだろうか????となりますが残念ながらその疑問は真実を取り間違えています、真実はその行動が勝手に起こっているのです、もしもその人になぜそんな生き方を受容しているのか??と問えば日本の経済事情を考えて受け入れていると、、答えるかもしれません、、だとしてもそのまさに思考が勝手に湧いているのです。

だとすると、、、

だとすると、、そうです、、他人の心配は全くする必要がない、、です。なぜそのような行動をとるのか???それは勝手にその行動が湧いているだけだからです。思考も行動も全自動で湧いているのですから、、深刻に捉えるべき現象はこの世界には皆無なのです。絶対に絶対に潰れる立地にラーメン屋を出す人がいる、、、ですがなぜ???は愚問なのです、、その人にも全くわからない、、さらにその人も実在はしないのです。

世界はただ回っている

地球はなぜ回るのか????そこに意図はないんです、それと同じように人間の行動にも一切の意図がないのです、、あるのは後付けの思考です、、その思考も勝手に起きるのです。こじつけの思考が起きます、しかも自分という存在ありきの思考が勝手に起こるだけです。なぜ地球一周旅行したの????それは子供の頃からの私の夢なんです!という後付けの答えが勝手に勝手に湧いたのです、、、真実、事実は、、ただその衝動が起きたのです。

ピカソすらも

なぜピカソは絵を描き続けたのか????それが勝手に起きたのです。なぜゴッホと違ってしっかりと売れるようなプロセスを踏めたのか???それが勝手に起きたのです。でもピカソはインタビューで言うかもしれません「絵をどうしても売りたかった、しっかりと歴史に残る画家になりたかったんだと」だとしたらその思考が勝手に湧いたのです、、、そしてそれをそう仕向ける自我など全く存在しないのが真実です。